クリスマスジャズ・フェスティバルで錠一郎(オダギリジョー)とトミー(早乙女太一)のセッションが始まりジャズが響く楽屋。るいは母親・安子のために歌うつもりでスタンバイ。しかし、母はやって来そうにない。誰のために歌ったらいいのかと動揺するるいの前に親友一子(市川実日子)が現れて、黙ってお茶を点てる。
「私にもわからんわ、そのお茶に意味があんのかどうか。意味があんのかないんか、わからんことをやる。誰かのことを思てやる。それだけでええんとちゃう?」
相手がどこにいても、どんなことを思っていようとも。意味を問わずコツコツと、自分は自分の思いをあたためる。そうやって自分の道を生きていく。安子が「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ、おいしゅうなれ」と小豆を炊いたように。
ここが私にとっての隠れクライマックスでした。シンプルで潔くて深いこのテーマを伝えるために、カムカムのさまざまな演出技巧が凝らされ時が費やされたのではないでしょうか。
ただし、いくら「時」の演出技巧が素晴らしかったとしても、まさか。第二次世界大戦で戦死した稔の言葉が、現在進行形の戦争と重なりあってズシンと響くとは。
「どこの国とも自由に行き来できる、どこの国の音楽でも自由に聴ける。自由に演奏できる」
稔の夢見たそんな世界は、本当に実現できるのか。フェイクニュースにメディア規制が交錯する現実の中で、幕を閉じた『カムカムエヴリバディ』。まさしく記憶に刻まれる朝ドラの金字塔になりました。