事件は翌日、郵便局からTさん宅に帰ってきて起こった。親子丼のお礼に、と今度は私が現地食材を調達し、得意料理の天ぷらとそうめんを作った。そして食事を終えた後、バッグの中を点検してパスポートがないことに気づいたのよ。
そうなると、遠い昔からの失敗の数々がよみがえってきて、まぁ、一種のパニックよね。「そうだ! 今日、郵便局から送った荷物の中に入れたと思う」──そう、昨夜たしかに赤いパスポートを見た気がしたのよ。
当時のイタリアの郵便事情の悪さと言ったら、「無事に宛先に届いたらめっけもん」というほど。一度出した小包を引き上げるなんて、できるかしら……。
Tさんは思案の挙げ句、トリノで活躍している日本人画家のHさん(当時55才)に頼ることにした。イタリア語に堪能なHさんのアトリエを訪ねて事情を話すと、口をへの字に結んだまま、難しい顔をしている。実はHさんは“日本人と交際しない人”で通っていて、私たちのことも「迷惑!」と言わんばかりだ。
そうは言っても、Hさんに頼るしかない。パスポートがないと飛行機に乗れないもの。私は涙を浮かべながら何度も頭を下げ、「もしよかったら、今夜、天ぷらを揚げますから一緒に食べていただけませんか」とお願いをした。そうしたら、「まあ、そこまで言うなら協力しましょうか」とHさんは初めて薄く笑ってくれた。食の力って強烈よね。Hさんは郵便局に行って、荷物を送らないように交渉してくれた。
その後、彼のアトリエについている小さな台所で私が、玉ねぎと人参と鶏肉のかき揚げと、ピーマンときのこの天ぷらを揚げたら、「うちを連絡先にしていいから、明日、ミラノの領事館に電話しなさい」と言って、Hさんは貯蔵しているワイン蔵から1本出してテーブルにのせてくれた。
その日から私は、来る日も来る日も、郵便局から連絡がないかを確かめにHさんのアトリエに通ったわ。手土産は和食になる食材。最初は料理を作ったらすぐに退散したけど、数日後には「ま、いいじゃないですか?」とHさんはグラスを手渡してくるようになった。