犯罪を描く上で、フィクションとノンフィクションにはどんな違いがあるのか。犯罪小説の名手である道尾秀介氏と、犯罪ノンフィクションの気鋭、高橋ユキ氏が特別対談。高橋氏が脱走犯たちを取材した新刊『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』(小学館新書)を題材に作品論を語り合った。【前後編の前編】
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道尾:世の中の殺人や暴力、犯罪には「明確な理由」が備わっているものなのでしょうか? 僕はあんまり、そうは思えなくて。実際には、カッとなってやってしまったとか突発的な感情でなく、単純化できない複合的な理由のほうが多い気がします。
高橋:同感です。世間を騒がせるような大きな事件を扱うとき、そこに分かりやすい動機や物語を盛りがちなのは、世間や読者というよりも、ジャーナリズムを標榜するメディアのほうでしょう。
道尾:事件の「物語」を魅力的にすることで、視聴率やページビュー、部数も伸びますしね。例えば市橋達也さんを覚えていますか?
高橋:英会話学校講師のイギリス人、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した後、整形手術で顔を変えたり、無人島で暮らして2年7か月も逃げた。2012年に無期懲役が確定しています。
道尾:大阪のフェリー乗り場で捕まったとき、彼は僕の小説『向日葵の咲かない夏』(新潮社刊)を持っていたんです。あの作品は生まれ変わりがテーマのひとつだったので、取材が殺到して。
高橋:そういった状況は、著者としては嬉しいものですか?
道尾:正直にいえば、なんにもないです。マスコミには「自分の作品が、市橋さんの行動に影響を与えたとは考えません」と答えました。
高橋:食い下がる記者も多かったと思います。
道尾:まあ、いかにもなにか言ってほしそうな雰囲気はありましたけど、でも、影響なんかあるわけないんですよ。だって逮捕されたときに本を持っていたなら、まだ読み終わっていなかった可能性が高いわけだから。
高橋:なるほど(笑)。