橋田さんの思いを酌み、ピン子が決意したのが海洋散骨だった。
「実はピン子さん、納骨のときに遺骨の一部を受け取っていたんです。橋田先生が亡くなる直前まで一緒にあの曲を聴いていたので、思いついたのでしょう。自らクルーズ船にかけあって海洋散骨の予約を入れたそうです」(ピン子の知人)
そのクルーズ船もまた橋田さんにとって、思い入れのあるものだった。橋田さんが初めてクルーズ旅行に出かけたのは2004年。行き先は南極大陸だった。
「若い頃からバックパックを背負って旅をするなど、世界中を見て回った橋田さんが、ずっと行きたいと願ってやまなかったのが南極大陸でした。2004年頃、豪華客船『飛鳥』の広告が目に留まり、仕事も顧みずに申し込んだのだとか。100日間かけていく船旅でしたが、橋田さんは感激しきりで、『飛行機だと味もそっけもない。急がない旅は船がいちばん』と話していました」(前出・橋田さんの知人)
「散骨予定日にトラブルが……」
クルーズ旅にハマった橋田さんは、すっかりリピーターになり、世界一周の旅には4回も出かけた。周遊の旅を含めると、海上で1000泊以上を過ごしたという。一度の旅行で3000万円の旅費がかかることも。しかし、意欲は尽きず「旅行に行くために仕事をしている」と語ることも頻繁だった。旅行にはピン子が同行することもあった。
「ピン子さんが外国人の乗船客から『おしんマザー!』と声をかけられるのを見て、橋田さんが『書いてるのは私なのに』とふてくされたとか(笑い)。一方のピン子さんも船旅を気に入り、『渡る世間は鬼ばかり』の撮影のため、途中下船した際には、最初から決めていた旅程にもかかわらず、今生の別れのように号泣したそうです。きっと、橋田さんを残していくのが心配だったんでしょうね」(前出・橋田さんの知人)
大海原で旅の醍醐味を共に味わった2人。橋田さんの楽しそうな表情を間近で見ていたピン子は、海洋散骨こそ彼女にとってベストな「弔い方」だと考えたのだろう。しかし、クルーズ船のような豪華客船から散骨することは可能なのだろうか。『飛鳥II』を運航する郵船クルーズの広報担当者はこう話す。
「弊社としては、いわゆる散骨サービスは行っていませんが、クルーズ旅行をご利用いただくお客様のご希望があれば、相談の上で実施を検討しています。散骨は最も海に近い後方デッキから行われることが多いです」