SNSでの振る舞いが実生活に影響しうることはもはや言うまでもない。が、ついつい口がすべってしまうタイプの人は少なくないのではないか。コラムニストの石原壮一郎氏が指摘した。
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ツイッターでは今日も不毛なバトルが繰り広げられ、その不毛さによって私たちにたくさんのことを教えてくれます。先日も、いかにもツイッターらしい騒動がありました。
6月下旬、数日にわたって「結婚式の加害性」という言葉が、多くのユーザーが話題にしている「トレンドワード」として注目を浴びます。その言葉にカチンときた人が「結婚式に加害性を見出すなんて歪んでる!」「勝手に被害者意識を抱くな!」と激しく非難。さらに、そんな様子を見た人が「結婚式の加害性なんて言ってるヤツがいるのか。どうせ結婚できないヤツの妬みだろ。欠席すればいいじゃないか!」と次々に乗っかりました。
炎上騒動を何となく見ていた人は「なるほど、ナイーブな人が増えたんだな。ますます世知辛い世の中になったな」という印象を受けたでしょう。しかし、元になったツイートをたどってみると、ぜんぜんそういう話ではないことがわかります。
「結婚式には加害性があるんだから(傷つく人がいるんだから)やるべきではない」なんて、誰も言っていません。ただ「結婚式その他祝賀行事には原理的にすべて加害性があるんだから、誰も傷付けたくなければすべて中止するほかないが、そんなことは不可能なので覚悟を持つかどうかの問題でしかない」と書いている人はいました。
同性婚が認められなかったことを残念に思う話の流れのツイートで、つまりは「人は社会の中で、お互いの行為にいろんな感情を抱く。意図せず傷つけることもある。そのことは覚悟した上で配慮や謙虚さを忘れずに生きていきたいものだ」と言っています。
ひじょうに大切かつ納得できる視点であり、叩かれなきゃいけない理由はどこにも見当たりません。しかし「結婚式の加害性」という悪意を込めて要約されたワードが独り歩きしてしまいました。元のツイートを書いた人のアカウントは、6月30日現在、見つけることができません。気の毒なことに、アカウントを消してしまったようです。
今回の騒動は、喜び勇んで加害性を攻め立てている人たちのほうが、よっぽどタチが悪くて迷惑な加害性に満ちていたことを示したという皮肉な展開になりました。私たちは、この騒動から何を学べばいいのか。SNSだけでなく実生活でも、よく確かめもしないで「非難しやすそうなところを攻撃して偉くなった気になっている人」はたくさんいます。
そんな場面を目の当たりにしたりそんな人に遭遇したりしたときに、そして自分が同じ落とし穴にはまらないために、次の3つの教訓を胸に刻んでおきましょう。
その1「インパクトの強い言葉に飛びついて騒ぐと恥をかくことになる」
その2「世間で極悪人扱いされていても、その人に非があるとは限らない」
その3「熱くなって何かを批判している人には、何を言っても無駄である」