グループサウンズの歌手としてデビュー後、俳優としてアウトローな役柄から『オレたちひょうきん族』の「ホタテマン」まで幅広く活躍した安岡力也さん(享年64)。ワイルドな父が病に臥し、息子に頼んだ“願い”とは―。『ホタテのお父さん』(東京キララ社刊)の著書がある長男・力斗さんが語る。
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僕が中学生の頃に両親が別れて、ずっと父と2人暮らしでした。父に異変が見られたのは2002年。肝嚢胞が見つかり切除手術をしました。骨を折ってもかすり傷かのように平気な顔をしていた時と同様に、父は平然としていました。2005年に肝臓がんが発覚した時ですら、落ち着き払っていました。
そんな父ですが、2006年にギラン・バレー症候群を患ってからは一気に弱気になりました。
2009年には肝細胞がんが広がった状態で見つかり、医師から「肝臓の移植をするしかない」と聞かされました。その後、一縷の望みを託すように「パパに力斗の肝臓を半分くれないか」と電話をしてきたんです。
僕は迷わず「それでお父さんが救われるなら、もらってください」と返事をしました。母は猛反対しましたが、僕の心は一点の曇りもなく、誰に止められようとも決意は揺るぎませんでした。
合併症は“親孝行の証”
42時間に及ぶ大手術の末、移植は成功しました。でも、僕の肝臓は半分では足りず、64%を移植しました。
これで元気になると僕も父も信じていたのですが、父のがん細胞は肺や骨にも転移し、抗がん剤治療を始めるも、医師からは「余命は長くて1年」と宣告されました。
そのことは父に言えないままでした。そして、移植手術から1年ちょっとが過ぎた日、病室で父を看ていた知人から危篤の知らせが入りました。
病院に駆け付けると、酸素マスクを付けた父が荒く息をしながら、「ああ、パパ負けたなあ」と大きな声で言いました。僕が「何を言ってるんですか! これまでの人生で一度も『負けた』なんて言ったことないじゃないですか! あなたはいつも勝ってきたんですよ」と叫ぶと、「そうだよな、負けねえ。お前はパパのエンジェルだ」と言いました。