映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督)では、生活や自然の効果音が作品世界の情感をより深めていた。そうした効果音が作られた裏側について、映画史・時代劇研究家の春日太一氏が、音響効果を担当した柴崎憲治氏に話を聞いた。
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柴崎:全てを「リアルな音」にするかというと、そういうことではないんです。何より映画としてちゃんと面白く見せなくてはいけません。
――たとえば、どの辺りをフィクショナルにしていますか?
柴崎:水桶を担ぐ天秤棒の音がそうですね。作中ではギシギシいいますが、実際は音なんてしません。でも、「当時はこういう生活をこの人たちがしていたんだよ」ということをハッキリ伝えるためには、そういう音は足していくんです。かまどの音もそうです。実際はあんなにバチバチいわないですよ。料理でも包丁の音は誇張しています。
――今はもうない生活風俗ですから、そうした誇張をしないと伝わらない恐れがありますからね。
柴崎:そうなんです。「画」だけだと、観客も「え、これ何?」ってなりかねないんですよね。何をしているか分かるためには、その「音」が必要なんです。
――前半では遠くから波の音が聞こえてくるのも印象的でした。画として映っているものだけでなく、映っていないものにも音を入れています。
柴崎:主人公の生まれた家は海苔業者をやっています。海が近いわけです。ですから、ああいう音が聞こえるようにしました。ところが、嫁いだ先は山の上なんです。呉には『男たちのYAMATO』撮影時に一度行ったことがあり、あの辺りの地形は頭に入っていましたが、『孤狼の血』という同じ呉を舞台にした映画も担当した時に、記憶の確認のために『この世界~』と同じ山に上がってみたんです。
すると、いざ行ってみると音の聞こえ方が全く違うんです。俯瞰で港が見えるのですが、音はというと、鳥の声とかは聞こえるけども、海の音なんて聞こえないんですよ。
――音によって、主人公の生活環境の変化を伝えられるわけですね。
柴崎:最初の頃は船で町に行きます。広島は川沿いに町ができていて、餌場があるので水鳥がいます。ですから、生活場面には水鳥の鳴き声を入れています。そして山に移った時には、聞こえてくる鳥の鳴き声を変えるわけです。
効果音は、場所を説明したり、時間経過を表現するなど、ある面では状況説明の役割を担います。そこは、音楽が担うエモーショナルな部分と異なります。