戦後最大の疑獄と呼ばれるロッキード事件。前首相・田中角栄を逮捕した東京地検特捜部は、陣頭指揮を執ったカリスマ検事・吉永祐介(2013年没、享年81)と、そのもとに集った精鋭たちによるチーム力で捜査の難題を次々に突破した。史上最強の検察軍団の軌跡を辿る。【前後編の前編】
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身長160cmと小柄な体躯に、牛乳瓶の底のような眼鏡。分厚い眼鏡の奥から睨まれると、思わず身が竦むような威圧感がある──。
この男こそ、田中角栄を追い詰めた伝説の検事、吉永祐介である。
1976年2月、アメリカ上院外交委員会で、ロッキード社が全日空への航空機売り込みに30億円以上の不正工作資金を使ったとの証言がなされた。降ってわいた疑惑の中心にいたのが田中角栄前首相だ。「今太閤」と称されて権力の中枢にいた前首相は、全日空に口利きして5億円を収賄したとして追及される。
マスコミは田中の疑惑を連日報じ、「逮捕せよ」との世論は高まった。
昭和最大の疑獄の陣頭指揮を執り、田中を逮捕に追いやった吉永の素顔は今ではあまり知られていない。
吉永は1932年、岡山県で4人姉弟の長男として生まれた。地元で勉学に勤しみ、岡山大学法文学部へ進むと在学中に司法試験に合格。1955年、大学を1年早く卒業してすぐ検事になった。東大卒、京大卒が多い検察官の中で異色の存在だった。
1964年に東京地検特捜部に配属された後、法務省への出向を経て1975年に特捜部へ舞い戻り、43歳で特捜部副部長となる。
吉永と終生にわたり40年近く交流した元毎日新聞記者の高尾義彦氏が語る。
「吉永さんは特捜部の礎を築き、“特捜の鬼”と呼ばれた河井信太郎氏の薫陶を受けた。誘導尋問をせず、丁寧に供述を取り、地べたを這うように証拠を集める王道の捜査スタイルを突き詰めていました。出世のため政治家に忖度することなく、汚れ仕事も厭わず事件の解明に全力を尽くす人です。
また、部下の検事だけでなく、新聞記者にも厳しく接する人でした。それは吉永さんが事件解決を最優先に考えているから。捜査の邪魔になる記事が出ると激怒して、記事を書いた記者を出入り禁止にすることも多かった。駆け出しの検察担当だった私は、吉永さんの逆鱗に触れないようビクビクしていましたね」