ホームページやSNSで、自分からは何も提供せずにカンパやプレゼントを呼びかける行為は「ネット乞食」としてインターネットでは長らく嫌われてきた。ところが最近では「笑顔、元気と勇気を届けたい」という、子供向け物語のヒーローか、何かの日本代表なのかというような、ふんわりした目的とリターン(見返り)を用意するだけで資金提供を求めるケースが増えている。俳人で著作家の日野百草氏が、ネット有名人によるクラウドファンディングをめぐる「ネット乞食」論争について考えた。
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この国で「こじき」(乞食)をすることは犯罪である。
〈こじきをし、又はこじきをさせた者
左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。
(軽犯罪法第一条第二十二号)〉
いわゆる「こじき罪」というやつである。ここでいう「こじき」とは、不特定の人に憐れみを乞い、自身もしくは自身が扶助する者のために金品を乞うことである。自分の生活のために乞食を繰り返す(常習性も加味されるだろう)、自分の子どもに乞食をさせるなどの行為は「こじき罪」として軽犯罪法違反となる。とくに後者の場合は児童福祉法にも抵触するため罪が重くなる。
一 身体に障害又は形態上の異常がある児童を公衆の観覧に供する行為
二 児童にこじきをさせ、又は児童を利用してこじきをする行為
三 公衆の娯楽を目的として、満十五歳に満たない児童にかるわざ又は曲馬をさせる行為
(児童福祉法第三十四条)
昭和二十二年の古い法律のままなので「かるわざ又は曲馬をさせる」などという文言もある。古くは「角兵衛獅子」という子どもを使った大道芸があり、貧しい家の子どもを買ってきては芸を仕込んで稼ぐ時代があったし、サーカスや見世物小屋もそうだった。そこまで古くなくとも「子どもと動物の憐れみは売れる」は古く映画興行の基本でもあった。それにしても「こじき罪」というパワーワード、まさに昭和である。
しかし、この令和にも「こじき罪」は存在する。近年やり玉に上がるのはインターネットによる新しい物乞い(不特定多数に物を乞う本来の意)だろうか。たとえば不特定多数から金品を募る「クラウドファンディング」(以下、クラファン)や動画コンテンツの「投げ銭」、個人アカウントの「欲しいものリスト」はどうなのかという問題は、これまでも物議を醸してきた。スラングでは「ネット乞食」とも呼ばれる。
もちろんクラファンも本来は社会実現のため、もしくは優先的なリターン前提の物作りのためという意義のある素晴らしいシステムである。使い方さえ間違わなければ何も問題がない、それどころか時代を変えるシステムという可能性を秘めている。たとえば法隆寺などの貴重な文化財の修繕や引退競走馬のセカンドキャリアなど、多くのクラファンは何ら問題ない。「こじき罪」にはあたらない。本当に素晴らしいと思う。筆者も少額ながら個人的に支援したこともある。