言い方が難しいがこうした「個人の夢」系のクラファンが上手いな、と思うのはキングコングの西野亮廣で、たとえば『木の時計台を作りたい』という企画は大阪府池田市から「木をテーマになにか作りたい」という依頼を経てのクラファンであり、建前上も公共性と妥当性を満たすものになっている。実のところ当初の企画などは「極めてグレー」なものもあったと思われるが、時流を見てブラッシュアップするなどやはり「上手いな」と思わせる。もちろん彼の代表作『えんとつ町のプペル』も、グッズ返礼やエンドロールへの名前入れなどの対価があったため道義的な部分はともかく法的にはまったく問題ない。ある意味、本来の「個人の夢」系クラファンともいえる。
それらの観点から、あくまで一例ながら『ゆたぼんの行為は「こじき罪」にあたるか』という点だが、実際に筆者が尋ねた法律家、および社会部記者の見解を抜粋すると以下の通りとなる。
「『元気と勇気を届けたい』は極めて漠然としているが、活動実績のある有名人がおこなうという点を鑑みれば、公益性がないとは言いきれない。目的、必要性、妥当性とも問題ないのではないか」
「未成年者なので実際は父親によるクラファンだと考える。『元気と勇気を届けたい』は公益性という点で弱い。個人的な日本一周旅行とみれば、かつて問題となった女子大生の世界一周企画(2015年に問題視されたクラファン)とそれほど違うとは思えない。彼女も『発展途上国の子どもたちに絵で夢を描いてもらってバトンをつなげる』というエクスキューズはあったが不透明で、それと変わらないのでは」
「個人の旅費はとにかく揉める印象。『世界中のスラム街の子どもを見たい』と募ったクラファン(2018年)も問題視された。結局のところ『自分が旅したいだけ』という自身の利益であり、実際にそうとられるために揉めている。結局のところ法律が追いついていないだけでは」
法律に詳しい3者3様の「こじき罪」にあたるのでは、というクラファンに対する見解だったが、筆者もおおむねこれらの意見に同意である。意見の食い違いも含めて同意というのは、やはり現状の軽犯罪法では進化する個人系のクラファンや投げ銭、欲しいものリストといった昭和の立法期には無かった行為に対して「法律が追いついていない」点にあると思われるからだ。また筆者はこれに、先の「児童福祉法」の問題も加えたい。ゆたぼんはあくまで児童のため法的には親の管理責任となる。先の児童福祉法第34条の第9号では、
〈児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもつて、これを自己の支配下に置く行為
(児童福祉法第三十四条)〉
も禁止されている。もちろんゆたぼんのご両親がそうだ、と言っているわけではなく、こうした範疇とみられる可能性がある、という解釈の話である。