餅は餅屋、弓矢の道は武士が知る、舟は船頭に任せよ──。その道のプロこそが最も知識と経験が豊富であるのは、病気も同様だ。「医師」と「患者」、両方の立場を経験したからこそ話せるがんとの向き合い方。がんを経験した5人の医師に「私の治療方針」を聞いた。【全3回の第3回、第1回から読む】
年齢や性別、がんの種類やステージなど、それぞれ全く違う状況を生き抜いてきた5人の医師だが、共通しているのは仕事を続けていること。がんが「不治の病」ではなくなったいま、彼らのように治療をしながら職場復帰を果たす事例がほとんどだろう。だが、緩和ケア医の田所園子さん(53才)は、がんであることを周囲に伝えることには大きな葛藤があったと振り返る。
「仕事を休んだことは子供の受験を理由にして、当時働いていた病院では最低限の人にしか知らせずに6年間黙っていました。ずっと明かせなかったのは、がん患者であることを私自身が受け入れられなかったからだと思います。職場では元気で明るいイメージを崩さないように努めていましたが、内心は再発の不安で、検診は毎回、宣告を受けるような気持ちでした。
術後2か月で職場に復帰しましたが、診察していた内科の患者さんから『実はがんが再発してしまって……』と言われただけで、涙が出てくるほどでした。いま緩和ケア医をしているのが不思議なくらいで、当時はもう医師を続けるのは無理かもしれないと思いました」
葛藤や苦しみをひた隠しにしてきた田所さんの転機は、復職から6年。ある転職サイトのインタビュー取材がきっかけだった。
「育児と仕事の両立がテーマだったのですが、がんのことを隠してしまえば、自分の考えていることが伝わらない。そこでがんであることを明かしたところ、自分で話すうちに医師としての目線ややりたいことが、がん闘病を経て変わっていることに気づきました」(田所さん)
この経験を通して、麻酔を中心として医療に携わってきた田所さんは、がんの痛みを取る緩和ケア医に転身した。
東京女子医科大学放射線腫瘍科教授で乳がんが専門の唐澤久美子さん(63才)は、抗がん剤治療で副作用に苦しむ時期に、医学部長への就任を打診された。
「いまの健康状態では治療と仕事を並行するのは無理なので、抗がん剤を一旦やめるか、仕事をあきらめるかの二択でした。私の場合は副作用があまりにきつかったので、“仕事と心中しよう”と覚悟を決めて、抗がん剤治療を中断。医学部長になりました。
つらい副作用を経験したことで、人生において大切にしたいと思うことは、人それぞれ違うことを実感しました。よく『生存率』といいますが、たとえただ息をしているだけの状態であっても、数字上は“生存”にカウントされる。私は生きがいとする医師としての仕事ができれば、生存期間が短くなってもいいと考えて、結果抗がん剤治療を途中でやめました」(唐澤さん)