「空白の1日」や「逆指名ドラフト」
巨人の“強引なルール解釈”が物議を醸したケースは少なくない。その代表的なものが「空白の1日」事件だろう。
1978年のドラフト会議前日、「空白の1日」(*)を利用して江川卓と契約したと発表したが、セ・リーグの鈴木龍二会長が却下。巨人がボイコットしたドラフト会議で、阪神が江川との交渉権を獲得した。その後、金子鋭コミッショナーの“強い要望”によって、江川は阪神に入団した上で、巨人にトレードされた。その相手である小林繁は1979年1月31日、キャンプイン前日に阪神行きを通告された。
【*当時、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日までとされていた。そのため、ドラフト会議前日は「空白の1日」であり、その日は江川はドラフト対象外選手であるという解釈で、巨人は江川と契約した】
また、巨人の意向がNPBの制度変更に大きな影響を与えたと指摘されるケースもある。1993年にはドラフト1位、2位の選手は自分の好きな球団を選べる逆指名制度が出来上がった。これは人気球団の巨人に有利に働くルールで、その導入に際しても、巨人の意向が強く働いたと言われている。
「いずれも、巨人に絶大な人気があったからこそ、実現したことでしょう。当時のプロ野球界は巨人を中心に動いてきたことは間違いない。ただ、あの頃と今の巨人では、人気が全然違います。2004年の球界再編前までは、テレビの巨人戦の放映権料がセ・リーグの他球団の経営を支えている面が大きかった。しかし、今では地上波でジャイアンツ戦が放送されることが珍しく、観客動員でも1位ではなくなっている。
そうした状況を踏まえるなら、NPBも過剰に巨人の意向を気にすることなく、育成選手制度の真っ当なルール改正をすればいい。今の巨人は『12球団のうちの1つ』です。ただ、NPBの上層部は年齢が高いから、いまだに『野球は巨人』という固定観念があるのかもしれません。それが育成選手制度の改革が遅れている理由の1つとも考えられます」
明らかに形骸化した制度を補完しなければ、ファンのもやもやは晴れないのではないか。