それにしても、スケートの芸術性はもちろん演出力、企画力、構成力含め、これだけのパフォーマンスと舞台を作り上げるとは。羽生結弦が信頼する演出家のMIKIKOや津軽三味線の中村滉己など、多くの人々の協力があったからこそは当然だが、初の単独公演でこの完成度、これが『プロローグ』(序章)というなら、いったい羽生結弦という存在は、これからどれほどの高みにあろうとするのか。彼の繰り返し語る「限界」とはどこにあるというのか。12月2日からの青森八戸公演『プロローグ in HACHINOHE』も期待せずにはいられない。いやはや、本当にとんでもないアスリート、かつアーティストがこの国にいる。嬉しくてたまらない。
パブリックビューイングの上演が終わると、これまた整然とファンのみなさんが退場して行く。シネコンを出ると、ほのかな夕日に山々が大きく照らし出されている。あの女性には再会できなかったが、きっと「幸せ」な気持ちで家路に着いたことだろう。
かつて2020年、羽生結弦はコロナ禍の全日本選手権終了後に「生活自体が苦しくなっている方々から比べてみれば、ほんとにちっぽけなこと」と自身の競技生活を振り返った。そして、「少しでも自分の演技が、生きる活力になったら」(抄)と率直に答えた。かつてのヴィット同様、羽生結弦もまた「時代の人」として「一人の人間として何ができるのか」を自問しながら「限界の先」を目指して滑り続けるのだろう。大好きな「ファン」、大好きな「スケート」、そして大好きなのにちょっといじわるな「氷」に感謝しながら。
※敬称略
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。俳文学、短詩芸術における実作、評論も多数。全国俳誌協会賞、日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞ほか受賞。近作「おろしやの月」(「俳壇」11月号)、文芸評論「十七字への想い、新たに」(角川「俳句」9月号)、「左右から、上下の問題へ」(「俳句四季」11月号)など。フィギュアスケートは1988 カルガリーでカタリナ・ヴィットのフリー「カルメン」やエキシビション「Bad」に魅せられ、その後も1992アルベールビルのペトレンコ、1994リレハンメルのオクサナ・バイウル(復活のヴィットも)など、羽生結弦に到るまで男女問わず推し多数、というか基本全推し。