地元の名士であり、県議という仕事柄、仏前にお参りしにくる人も多いはずだ。並んで映る写真を置くのは、恥ずかしいと思う気持ちもわからなくもない。だが「捨てられはしない」という表現には驚いた。まだ亡くなって1年、犯人も逮捕されておらず、看板商品を手に微笑む妻が映る写真に、捨てるという言葉を使える感情と思考は理解できなかった。
殺害現場である事務所へとカメラを案内する映像では、普段から使用しているためなのか、容疑者から悲しみや緊張感、躊躇などは何も感じられない。そこが現場と説明されたカメラマンやレポーターの戸惑いが伝わってきただけだった。
犯人に対して聞かれると「自分から出てきてくれればそれにこしたことはない」「何かどっかで罰でも当たればいいな」と表情を崩す。別のインタビューでは「相手が見えない状態で、漠然とした怒りはある」と述べている。被害者遺族なら、犯人がわからず、怒りの矛先をどこに向けていいかわからないのだと思えるが、加害者だとしたら自分に捜査の手は伸びてこないと高を括っていたのではと思えてくる。
事件後から、何度となく防犯カメラの足りなさを指摘していた容疑者だが、逮捕されたのは、警察が丹念に集めて精査した防犯カメラの映像からだ。宿泊していた議員宿舎に防犯カメラはなく、警察はこの宿舎から自宅のある塩尻市まで、防犯カメラをしらみつぶしに調べたという。
9月のあるインタビューでは「警察もやれることはやってくれていると思いますけど」と言いながら、ここでも防犯カメラの足りなさに言及し、「仕方ないと言っちゃうといけない。う~ん」と考え込むように視線を落とし、頬を緩めていた丸山容疑者。この微笑みの裏に隠された事件の真実とは、どんなものなのだろう。