大学生、社会人を抑えての快挙
気になる論文の内容は「東京との比較論」と言う。
「東京が政治都市として発展する一方、横浜は港を中心にした商工業都市として戦前の勢いを盛り返せばいい。──みたいなことを書いたんです」
3月中頃の締め切りに間に合ってからは、敬子は英語論文のことは忘れて日々の生活に忙殺されていた。「あのコンテストどうなったんだろう」と時々思い出すこともあったが「どうせ入選するはずもないし」と思うと、次の瞬間には脳裏から消えていた。書き上げた時点ですでに終わった話となっていた。
5月のある日のことである。敬子が山手英学院の授業を終えて夜遅く帰宅すると、父の勝五郎が待ち構えていたように言った。
「英語論文、お前が特等賞だ」
そう言われた瞬間、敬子は一体何のことかわからなかった。
「英語論文って何だっけ?」
「横浜百年祭の記念論文だ」
そう言われて「あっ」と声をあげた。自宅に電話で一報が入ったらしい。
応募総数81通の中で、厳選なる審査の結果、高校2年生の敬子の書いた論文が、社会人、大学生を抑えて見事、特等賞に輝いたのである。神奈川新聞は写真付きで次のように報じる。
《かねて募集中の横浜開港百年の記念英語論文「自由国家群との関連において横浜の将来の役割」は全国から応募八十一通に達し、審査員が厳選の結果(中略)平沼高校二年の田中敬子さん(一六)が抜群の成績で特等賞をかち得た。(中略)
四人姉弟の一番上だ。英語は好きでさいきん山手英学院にも通っているが、応募原稿など書いたのはこんどがはじめて。「最高なんて……」とはにかんでいた》(1959年2月18日付/神奈川新聞)
外交官になる夢は着実に近付いているかに見えた。
(文中敬称略。以下次回、毎週金曜日配信予定)