かつての輝きはもう失われたのか─2018年に27年ぶりの「無冠」となった天才棋士・羽生善治。その彼が今、前人未到のタイトル通算100期をかけて現役最強の棋士・藤井聡太と対峙している。52歳になった羽生はいかにして復活を遂げたのか。将棋観戦記者の大川慎太郎氏がリポートする(文中一部敬称略)。【前後編の前編。後編を読む】
すれ違っていた2人の天才
淡い灰色の和服をまとった羽生善治が、将棋盤の前に悠然と着座している。見慣れた光景のはずなのに新鮮に映った。
対座するのは、無敵の勝ちっぷりを誇る藤井聡太。神妙な表情の藤井に対して、羽生が目を細めたように見えた。以前から羽生は対局中に微笑を浮かべることがある。強敵を相手に難解な局面を考えるのが楽しくてたまらないのだ。52歳でも「中年」という言葉からかけ離れた男は、藤井との勝負を心待ちにする将棋少年のようにも映った。
2023年1月8日。第72期王将戦七番勝負が開幕した。20歳の藤井聡太王将に挑戦するのは、52歳の羽生善治九段。32歳差の天才対決として、将棋界の枠を超えた注目を集めている。天才という言葉はむやみに乱用されがちだが、将棋史上最高の技術を誇る藤井と、タイトル獲得99期という将棋史上最高の実績を残す羽生の対決で用いても異論は出ないだろう。
将棋ファンだけではなく、棋士もこのシリーズを注視している。羽生と同学年で、名人戦で9度もしのぎを削った森内俊之九段(52)は少しばかり高揚した口調で話す。
「歴史の覇者同士の対戦です。多くの方が待ち望んだカードが実現しましたね」
32歳差のタイトル戦は、史上2番目の年齢差だ。「羽生さんの活躍の長さと藤井さんの早熟さが重なった結果です」と森内九段は言う。
平成の将棋界は羽生と、森内九段を始めとする羽生世代の活躍とともにあった。1996年には25歳で全タイトルの七冠制覇を成し遂げる。それから羽生はタイトルを積み重ね、99期まで到達した。長らく羽生は将棋の象徴だったのである。
だが2017年頃から若手の台頭に苦戦するようになり、2018年にはついに無冠に陥った。羽生が「九段」の肩書になることは衝撃であり、一つの時代の終焉を感じさせた。
その一方で、超新星の誕生に将棋界は沸いていた。藤井聡太だ。2020年には初タイトルを史上最年少の18歳で獲得し、驚異的な勝率でタイトル数を伸ばしていった。2人の歴史的天才はすれ違ってしまうのか──。