そんな悲観論を打ち破るのが、羽生がレジェンドたる所以である。昨年の王将リーグで渡辺明名人、永瀬拓矢王座、豊島将之九段という現在のタイトル戦の常連たちを打ち破り、6戦全勝で挑戦権を獲得したのだ。
「チャンスが来ても最後まで勝ち切ることは大変なので、実際に挑戦権を得たことはすばらしい。ただ羽生さんは『対戦が実現しただけでは意味がない』ということもおっしゃっている。内容や結果で示したいという意志の現れでしょう」と語るのは森内九段だ。
32歳下の最強棋士に挑み、打ち負かそうと奮闘する羽生善治。ファンにとっては夢の対決だが、羽生は夢だけで終わらせるつもりはない。
ただ今回の対戦がこれほど騒がれるのは、近年の成績からすると、羽生のタイトル戦登場は厳しいと見られていたからでもある。
もがき、迷った1年
1985年に15歳で棋士になった羽生は、2020年度まで35年間にわたって年度成績で勝ち越し続けてきた。だが2021年度は14勝24敗で、棋士人生初の負け越しを喫した。名人戦につながる重要な棋戦の順位戦では最高峰のA級から陥落。2020年秋の竜王戦が最後のタイトル戦になっていた。勝率3割台ではさすがに難しい。羽生は、もがいていた。
羽生とタイトル戦で3度対戦し、2018年には竜王位を奪取した広瀬章人八段(36)はこう語る。
「やっぱり現代の新しい将棋についていけてなかったのかな、というのが正直な感想です。現代将棋は皆がAI(人工知能)で研究していて、多くの戦型でレールが敷かれているような状況なので似た形が多い。羽生さんの最大の長所は、未知の局面でも正しく対応できる抜群の大局観ですが、研究が進むとそういう局面が現れにくいんです」
通算で1522勝(1月24日現在)している羽生は誰よりも対局し、誰よりも勝ってきた。経験は羽生の大きなアドバンテージだが、AIの登場によって大きな変動があった。人間が培ってきた感覚の一部をAIは否定し、新しい価値観を示したのだ。機械の取り扱いに抵抗がなく、AIの指摘を素直に取り入れた若い世代の棋士たちが、ベテランを相手に序盤から優位に立つことが増えた。
羽生と同世代の森内九段も経験が生きにくくなっていることを指摘する。
「いちばん経験が生きやすい中盤戦は、AIで勉強しやすいところでもある。経験のアドバンテージを出しにくい時代になっていると思います」