松本潤が徳川家康を演じる大河ドラマ『どうする家康』の影響もあり、注目が高まっているのが徳川幕府だ。260年にわたって続いた徳川幕府の15人の将軍は、歴史上の史実以外にも数々の伝説を残している──。
歴代将軍で最も子作りに励んだのが、十一代将軍・家斉だった。徳川家の公式記録である『徳川実紀』などによれば、家斉は壮年まで浴びるように酒を飲み、それでいて酔うことはあまりなかったというほどの酒豪だった。その上、女好きで、ほとんど大奥に入り浸っていたという。多摩大学客員教授で歴史家の河合敦氏がいう。
「大奥は将軍の子孫を残す場でしたが、家斉の女癖は相当にひどく、節操がなかったといってもいいと思います。何しろ、20人近くの側室を抱え、産ませた子どもは54人(異説あり)。正室を迎える前に別の年上の女性に手を出し、長女を産ませたりしています」
河合氏によれば、家斉の狙いは、大藩の大名家すべてに自身の血筋を入れて、将軍独裁を図ることだったのではないか、という。気に入った女性はすべて手を付けた、ともいわれた家斉の時代に、大奥は全盛期を迎えた。
妻と共に“愛人”の面接をした十四代将軍・家茂
幕末の混迷期にあえなく病没した十四代将軍・家茂にも少し変わったエピソードが残されている。
家茂の正室は、時の天皇・孝明天皇の妹である和宮。すでに有栖川宮熾仁親王という婚約者のいた和宮は、家茂との結婚を強く拒んだが、天皇の求める攘夷を数年内に決行するとの幕府の約束を信じ、やむなく降嫁に応じることとなった。
当初は緊張感の漂う新婚生活であったが、2人の仲は徐々に接近。家茂の優しさが和宮の心を解きほぐし、晩年は仲睦まじい夫婦となった。ところが、2人の間にはなかなか子どもが生まれない。そこで、家茂は側室を迎えることになった。大奥の御年寄・瀧山が連れてきたのが、当時16歳の「てふ」という娘だった。
「家茂は和宮を伴い、『てふ』をこっそり覗き見したり、面接したりしています。当時は普通のことだったのかもしれませんが、自分の夫の側室を選ぶ和宮の気持ちは、決して穏やかだったとは思えません」(河合氏)
いずれにせよ、2人は相談して「『てふ』は小柄すぎるからふさわしくない」と瀧山に回答したという。