電車内で見つけた「臨時募集」の貼り紙
日本航空開業直前の7月22日付の読売新聞の求人欄に次のような広告が載っている。
《エアガール募集
資格20―30歳 身長一・五八米以上 体重四五―五二・五迄 容姿端麗 新制高校卒以上 英会話可能東京在住の方》
「エアガール」とは現在の客室乗務員(キャビン・アテンダント)を指す。締め切りは8月2日で採用人数は12名とある。8月27日の初飛行まで2週間ほどになる。
この募集に1300名もの応募が殺到したと「読売新聞」(1951年8月5日付)は報じている。100人に1人の狭き門を通過したエアガールは、間もなく「スチュワーデス」と呼び名を変え、開業と同時に花形職業となった。
《千三百人の中からたった十四人選ばれただけに、態度や容姿も抜群の近代女性。
「外国の人は何度乗った方でも、私達のアナウンスを素直にきいて、とてもよく実行して下さいます」(中略)
現在、週に一度の休み、一日の地上勤務で、税引のサラリーが七千円なにがし。それに一時間百円の航空手当とある》(1951年11月17日付/読売新聞)
総武線の車内で、駿台予備校に通う19歳の田中敬子が見たのは、開業から10年を迎えようとしていた1961年度の「日本航空客室乗務員・臨時募集」の貼り紙だった。そこには「エアガール」の文字はなかったが「高卒以上」「容姿端麗」「英会話が堪能な方」とあった。容姿はともかく、健康にだけは自信があった。
「へえ、と思った。“ああ、スチュワーデスさんも臨時採用があるんだ”って。知らない世界の話だから気にはなったの。その場で宛先をパパっとメモした。ただ、受かると思ったわけじゃない。ただ、大学受験の予行演習にはなるかなって思った」(田中敬子)