人間は様々な感染症とともに生きていかなければならない。だからこそ、ウイルスや菌についてもっと知っておきたい──。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、天然痘についてお届けする。
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有史以来、人類は天然痘と共に歩んできました。
天然痘は、天然痘ウイルスの感染によって起こります。天然痘ウイルスに曝されれば感染・発症し、生き残った人々も失明などの後遺症を残す場合も多かったのです。
その天然痘は、世界中で予防ワクチンが接種されたことによって1977年に地球上から唯一根絶された感染症となっています。しかし、歴史を振り返ればそれまでに戦争以上に人々を殺し、人類の人口の10分の1が天然痘の犠牲になってきたともされます。20世紀だけでも3億人が天然痘で亡くなっています。
天然痘ウイルスは口や鼻から侵入、その粘膜で増え、次にリンパ節で増殖し、脾臓、肝臓、肺などでまた増殖を繰り返します。症状は激烈で、致死率は2~5割にも上ります。この致死率の高さから、昔は天然痘にかかって生き残るまでは、生まれた子供を人数として数えないという慣習もあったほどです。
感染者は高熱、頭痛、腹痛、嘔吐などの症状を出し、さらにウイルスは皮膚に向かい、特徴的な発疹を出すのです。発疹は皮膚全体に拡がり膿疱となって、命が助かっても生涯残る痘痕を残します。
流行の激しかった江戸時代には、天然痘は“見目定め”と言われました。それはヨーロッパでも同じで、天然痘が流行を繰り返す社会で発疹の痕のない肌は貴重とされ、女性にとってそうした顔は「財産」だと農村の牛乳しぼりの女性を謳った童謡にも残されています。
さて、天然痘はいつ日本にやってきたのでしょうか。いつの世も病原体は人の移動・交流によってもたらされます。
仏教は538年に百済から伝来していますが、同時期に天然痘も持ち込まれたとされています。「日本書紀」には552年から587年に疫病が突然流行したと記されており、その症状は天然痘に酷似しています。隋や唐時代に中国を経て移入されたササン朝工芸や仏教美術は、東大寺の正倉院にその影響をみることができますが、飛鳥、天平文化はシルクロードを見はるかす芸術文化、仏教文化であり、そうして花開いたのが奈良の都でした。