その奈良の都を壊滅させたのも、天然痘という感染症でした。737年、朝鮮半島に派遣されていた外交使節団が帰国、朝廷に挨拶をします。しかし、使節団が朝鮮半島の新羅で遭遇していたのが天然痘流行でした。使節団が帰る頃、平城京で天然痘の大流行が始まります。権勢を振るった藤原一族の四兄弟も感染して死に、民衆にも大勢の犠牲者が出ました。
この悲劇を終結させ国家の安泰を願うとして、聖武天皇は諸国に国分寺、国分尼寺をつくらせ、さらに救いを求めて光明皇后と発願したのが、奈良の大仏でした。奈良の大仏は日本の天然痘のモニュメントでもあるのです。
【プロフィール】
岡田晴恵(おかだ・はるえ)/共立薬科大学大学院を修了後、順天堂大学にて医学博士を取得。国立感染症研究所などを経て、現在は白鴎大学教授。専門は感染免疫学、公衆衛生学。
※週刊ポスト2023年3月24日号