従来、「何が人間を人間たらしめるのか」に関しては、ロボットやAI、SFなど、主に状況を一歩先に進める形で問われてきた。しかし、本書はその逆。人と動物を何が分かち、〈人権〉はどこまで及ぶのか、須藤古都離氏のメフィスト賞受賞作『ゴリラ裁判の日』は、当のゴリラを原告にした法廷劇に描くのである。
モチーフは、2016年に米オハイオ州の動物園でニシローランドゴリラの居住区に男児が柵を乗り越えて落ち、これに近づいた当時17歳のオスゴリラが射殺された、通称ハランベ事件。実際のこの事件でも、単に男児にじゃれただけに見えたハランベに実弾を使った是非や、母親の責任を巡って世論は割れた。ただゴリラの遺族が動物園側を訴えたということは、当然(?)なかった。
ところが須藤氏は、デビュー作である本作を夫〈オマリ〉を理不尽にも殺された誇り高き妻〈ローズ〉の一人称によって描き、故郷カメルーンから自らの意志で渡米し、手話を使って思いを言葉にできる彼女のアイデンティティやヒューマニズムのありかを巡る物語に、昇華させてしまうのだ。
まず表題からして斬新だ。
「ゴリラが裁判をするのはいちおう嘘ではないですし、読まないと中身が全然わからない感じもいいかなあと思ってつけました。ちなみにこれは僕の中で3作目の作品なんですけど、テーマは最初にSFを書いた時とほぼ同じなんです。書きたいのは人間や社会の歪みで、それをどう書くかという時に、今回は視点をちょっと外にずらしたくてゴリラの話になった。なぜゴリラかと訊かれると、実は困るんですけど(笑)。
仮にSFが遠くまで行けてナンボの文学だとすれば、問題意識まで遠くなるのは困るし、僕らが今いる状況から一歩出るくらいの、明日あってもおかしくない物語を僕は書きたいんです」
話者を務めるローズはカメルーンのジャー動物保護区に生まれ、近隣のベルトゥア類人猿研究所で母〈ヨランダ〉と共に教育を受けた、話せるゴリラだった。
最初は若手研究者の〈チェルシー〉と〈サム〉が母に言葉を教え、娘のローズはその母に言葉を習った。今では手話も熟達し、その動きを音声化する特殊グローブが開発されたおかげもあって、その能力は携帯電話すら扱えるほどだ。
とはいえ、父〈エサウ〉を頂点とする群れにいる時は第三夫人のヨランダもローズも相応に振る舞い、父はそんな母娘を許容する度量の広いボスだった。だが、ある時を境に森の勢力図が変わってしまい、ローズはサム達の勧めもあって渡米を決意するのである。