その間、もはや誰かの死を悲しむ感性すら持つ彼女は特別なゴリラ特有の孤独を痛感する一方、自分に声を与えてくれた特殊グローブの開発者〈テッド〉や渡米交渉をまとめた〈ロイド上院議員〉など、人間の野心についても嫌というほど知ることになる。
「それらを一人称で書く方が、彼女がゴリラであることを忘れる瞬間があると思ったんです。読者と話し手の距離が近づいて、私の話により没入できるというか。
実はこの作品、ゴリラ研究の第一人者・山極壽一先生に監修していただいたんですけど、『ゴリラはこんなことしない』と怒られないか、もうビクビクで(笑)。幸い根幹に直しはなかったんですが、僕も執筆中はゴリラの感覚になりきっていましたし、多少の擬人化や単純化は承知の上で、問題提起を優先させたかった。
本来優しくて争いを嫌うゴリラの特性を反映させながらも闘うべき時は闘わせ、エンタメ性を重視したのも、〈人間性〉という時の人間の幅をもっと広げてみませんかとか、読者に伝えたいことがあったからです」
そして白眉は裁判の日。実は冒頭、1度目の訴えを起こしたローズは惨敗を喫し、報道陣にこんな怒りの発言をぶちまけてしまう。
〈正義は人間に支配されている〉〈裁判官も陪審員も全て人間。誰も私たちゴリラのことを理解しない〉
人間だと法的に立証するのは困難
動物園にいづらくなったローズはプロレス界に身を転じ、興行師〈ギャビン〉や韓国系ラッパー〈リリー・チョウ〉らと親交し、再び裁判で闘うことを決意する。しかし、ギャビンから紹介された曲者弁護士の〈ダニエル〉は会って早々、〈完璧な正義なんてものは現実には存在しない〉〈だが、僕たちはそれで満足していたわけじゃない。何千年もの歴史をかけて憲法や法律を作り、司法制度を練り上げてきたんだ〉とローズを一蹴。そのさらに先にある答えを、読者もまた彼や彼女と追い求めることになるのだ。
「人間と動物の命の重さに関する議論はよくありますけど、僕は人権適用の前提となる人間の定義が法律にないと知って衝撃を受けたんですね。人権はもちろん誰にもある。でもその人が人間だと法的に立証するのは難しく、だったらゴリラも人間でいいじゃんって。むしろどんなに枠組みを作っても零れ落ちるものはある以上、枠の方を広げてもいいように思うんです」
それこそ傍若無人にして無敗のダニエルは肌の色の違い等で人権が与えられなかった過去に言及し、〈慣習に盲従することがどれほど愚かなことか〉〈人権とはヒューマン・ライツであり、ホモサピエンス・ライツではないのです〉と説いた。