“日本プロレスの父”力道山が大相撲からプロレスに転向し、日本プロレスを立ち上げてから2023年で70年が経つ。力道山はすぐに国民的スターとなったが、1963年の殺傷事件で、39年間の太く短い生涯を終えた。しかし、力道山を取り巻く物語はこれで終わりではない──。彼には当時、結婚して1年、まだ21歳の妻・敬子がいた。元日本航空CAだった敬子はいま81歳になった。「力道山未亡人」として過ごした60年に及ぶ数奇な半生を、ノンフィクション作家の細田昌志氏が掘り起こしていく。第18話ではCAの同期のなかにいた後の有名作家との物語。【連載の第18回。第1回から読む】
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第18話「3枚の招待状」
2020年10月に刊行した『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を上梓するにあたり、歌手、俳優、作詞家、作曲家、経営者、興行関係者、テレビマン、プロボクサー、キックボクサーと67名もの人物に取材を行った。
若き日に裏社会を歩いた人物も含まれた。彼はこう言った。
「俺のところに、力道山の結婚披露宴の招待状は3枚同時に来た」
結婚披露宴の招待状は大抵1枚で来るもので、差出人は夫か妻、もしくは、新郎新婦の親か媒酌人という場合も時にはあるのかもしれない。しかし、この人物は「3枚来た」と言う。筆者はその内訳を尋ねた。
「1枚目は新郎の力道山」
渡世を歩いた彼はプロレスの興行において力道山と顔見知りで、親しい間柄にあった。「洗車をするたびに駄賃をもらっていた」とも言うし「親分に口をきいてやるから。お前はチンピラをやめてプロレスに来い」と言われたこともあった。これはよくわかる。
「2枚目は仲人の大野伴睦」
自民党副総裁や自民党幹事長を歴任した大物政治家だが、自身もかつては政友会の院外団出身という無頼な出自を持っており、彼のことをいたく可愛がっていた。「お前は任侠から足を洗って俺の書生になれ」と誘ったこともある。「あのとき、その話に乗っときゃ、俺も今頃、岐阜か静岡辺りで議席を持たせてもらってただろうになあ」と笑う。よって、これもわからないでもない。
「3枚目は誰だと思う?」