ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その6」をお届けする(第1376回)。
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一九一四年(大正3)三月十三日、貴族院の審議で質問に立ち山本権兵衛首相に最大級の罵倒を浴びせた貴族院議員村田保は、山本ら薩摩人にとっては「神」に等しい大西郷(西郷隆盛)のエピソードを挙げて追及を続けた。それは帝国議会会議録から現代語訳すると、次のようになる。
〈維新の初期に、東京府の職員であった薩摩人某が賄賂を受け取ったという嫌疑をかけられた。ただちに政府は当時の東京府知事由利公正に命じて取り調べて、免職にしろと指令を出した。ところが由利が調べてみると、風聞ばかりで証拠が無い。それゆえ免職にはできない、と報告を上げた。これを受けて参議が集まり、確たる証拠が無いならばどうしようもないという意見にまとまりかけたが、そこで西郷隆盛が「一度でも国民の疑惑を受けたものは、その職にとどまるべきではない。私は彼に勧告して腹を切らせる」と主張した。山本首相よ、西郷隆盛がここにいたらあなたにも切腹しろと言ったでしょう。〉
こんなことが本当にあったのか、筆者は確認できていない。ただ、西郷隆盛はこうしたことに非常に厳しかったのは事実だ。ただし、ここでひと言弁護しておくが山本権兵衛首相もその腹心である斎藤実海相も、その後の調査で賄賂とは一切かかわりが無かったことが証明されている。だが、村田の罵倒はさらに続いた。ここは原文を引用しよう。
〈山本權兵衞伯ヨ、伯ハ今日小學校ノ兒童ナリト雖モ、閣下ヲ土芥糞汁ノ如ク惡口ヲ致シテ居ルデハゴザリマセヌカ、如何デゴザイマス、一國ノ宰相タル者ガ、海軍ノ大將トモ云フ者ガ、小學校ノ生徒マデニ斯ノ如ク侮辱セラルルト云フコトハ、實ニ我々國民トシテハ慨嘆ニ堪ヘヌノデゴザイマス〉
(『貴族院議事速記録第十四號』国立国会図書館 帝国議会会議録検索システムより)
この村田の発言は、虚偽に等しい誇張と言うべきだろう。確たる証拠があるわけではないが、いかに新聞が山本内閣を強く批判していたとは言え、小学生までが天皇の信任を受けた総理大臣をここまでひどく言うとは思えない。土芥とは「塵あくた」のことだし、「糞汁」については「訳す」までもあるまい。もちろん小学生のなかには新聞の批判を鵜呑みにし、そういうことを言っていた生徒が少しはいたかもしれないが、すべての小学生がそんなことを言っているように主張するのは、あきらかに誇張であろう。
批判をするなら自分がそう思うと言うべきであって、小学生を引き合いに出すのは不公正であると私は思う。村田にもそういう感覚がまったく無かったわけではない。質問の最後に村田は、去年の桂内閣が政友会によって打倒された件を持ち出し、あなたは桂太郎公爵を訪ね勧告して辞職せしめ内閣を引き渡させたではないか、と迫った。
〈人ニ辭職ヲ勸告シナガラ巳ハ辭職セヌト云フヤウナ不徳義千萬ナル卑劣漢ハ、日本國ニ閣下ノ外ニハナイダラウト存ジマス〉
(前掲文書)
だが、この批判の前提にある「山本が桂に迫って退陣させた」という事実は無い。すでに述べたとおり、政友会が桂内閣を退陣に追い込んだのだし、山本は海軍増強のためだけで無く軍がこれ以上政治に口を出すべきではないとの信念から、陸軍および海軍大臣現役武官制改革を実現するために首相を引き受けたのだが、村田にはそのことがまるでわかっていない。挙句の果て村田は、「使ってはいけない言葉」まで使って山本を罵倒した。
〈奸臣山本權兵衞ハ陛下ヲ要シ奉ッテ御手許金三萬圓ヲ戴キ、松田正久ノ葬費ニ充テタリ、從來先例ナキ、斯ノ如キコトヲナシ、不埒千萬ナモノダト云フコトデアリマス〉
(引用同)