ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その8」をお届けする(第1378回)。
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結局、一九一三年(大正2)二月二十日に成立した第一次山本権兵衛内閣は翌一九一四年(大正3)四月十六日、わずか一年二か月足らずでつぶれた。シーメンス事件そして金剛・ビッカース事件で世論の批判は海軍に集中し、山本内閣が進めていた陸軍よりも海軍に予算をつぎ込むと「見られた」予算案は、政友会が多数を占める衆議院では可決されたものの、貴族院で否決されたからだ。現在の憲法では、たとえ参議院で否決されても衆議院で可決されれば法案は成立するが、明治憲法下では両院の一致が原則であった。
前にも述べたように、山本内閣が海軍予算を優先したのは全体のバランスを考えてのことで、決して海軍びいきの結果では無い。それに対して山県有朋を頂点とする陸軍は二個師団増設こそ緊急の課題であり、そのためには海軍予算を削るのもやむ無しという考え方であった。しかし山本内閣は政友会による支持基盤が強力であり、軍部大臣現役武官制の改革もその強力な支持のもとになされたわけで、この方針に賛成の人間を陸相にするなどの政治力もあった。このまま山本内閣が続けば大日本帝国の陸軍の暴走に歯止めがかかり、後の大破綻を回避できたかもしれないのだが、シーメンス事件いや金剛・ビッカース事件ですべては逆転した。
とくに、この事件は海相時代の山本が直接かかわっていたと広く信じられたことが、山本内閣にとって致命的であった。マスコミつまり新聞はその「疑惑」を追及するというよりは一方的に糾弾し、その論調を信じた国民は山本内閣に激しい怒りをぶつけた。そうしたなか、「お調子者」と言うべき貴族院議員村田保が貴族院の予算審議で山本を徹底的に罵倒したのはすでに紹介したとおりだが、その「名演説」を新聞が大絶賛したこともあり、村田はヒーローとなり海軍はますます悪者にされてしまった。
何度も述べたことだが、日本の新聞はしばしば国家にとって重要な問題を考察することはせず、その時々で時事問題をセンセーショナルに扱って国民を煽動するという「病気」がある。なぜそんなことをするかと言えば、そのほうが新聞が売れるからである。この宿痾は現代も根絶されたとは言えないと、私は考えている。どうか国民の皆さん、くれぐれも新聞にはご用心を、と申し上げておこう。
山本権兵衛は、大正天皇に提出した辞表において「新聞紙(いわゆる新聞各紙)」が事件の真相解明よりも政府糾弾を優先したことについて、次のように批判している。
〈政界の一部に紛議を起こし、同気相連絡し、新聞紙のこれに呼応するあり、一時輦下の一大騒擾を醸さんとしたり。ことに群衆騒擾のことたる近年、ややもすればたちまち一種の習慣性を馴致し、将来おおいに国家の安寧を害するの虞れあるをもって、極力、これが鎮圧に従い、幸にしてはなはだしきに至らさらしむるを得たりといえども、新聞紙中往々事実のいかんを推究せず、道路の風聞を伝播して、人心をして頻りに海軍の高官を疑わしむるのみならず、臣が久しく乏を海軍の要職に承けたるの故をもって、流言蜚語紛然として加わるに至れり。予算は、この間をもってすでに衆議院の議に付せられ、多少の修正を経たりといえどもなお将来の施設を認めたるに、貴族院においてはさらに多額の削減を加え、両院ともにその決議を固執して、予算は為に不成立に訖われり。〉
(『史話・軍艦余録 謎につつまれた軍艦「金剛」建造疑獄』紀脩一郎著 光人社刊)
文語調で少しわかりにくいところもあるので、私が簡単に「意訳」しよう。
〈(この事件について)政界の一部に政治問題化しようとする動きがあり、新聞各紙のうちにはこれに呼応する動きもあった。最近はこうした政治問題を大衆運動に結びつける傾向がある。これは一種の習慣性を招き、将来おおいに国家の安定を乱す恐れがある。それゆえ山本内閣としては極力こうした動きを鎮静化させるべく努力してきたのだが、新聞のなかには事実の追究を行なわずに単なる噂を書き立て、軍の高官に疑惑を抱かせるものがあった。また、私自身に対しても長年海相として海軍の政治面にかかわってきたので流言飛語を書き立てられた。そのため予算案は衆議院ではなんとか成立したものの、貴族院では否決されてしまった。〉
予算案不成立では内閣としての責任が果たせないから首相を辞任するということだが、まず問題は山本自身が海軍の汚職にからんでいたのか、ということだろう。
結論から言えば、平沼騏一郎を頂点とする強力な検察陣も山本首相や腹心の斎藤実海相を罪に問うことはできなかった。後の「帝人事件」と同じである。たしかに検察が立件できなかったから「犯罪そのものが無かった」とは言えない。しかし、平沼のような「冤罪デッチ上げの達人」がなにもできなかったのだから、やはり山本首相、斎藤海相は完全に潔白であったと考えるのが妥当ではないか。潔白であったからこそ、山本内閣打倒をめざす勢力は新聞を使って流言飛語を書き立てたのだろう。
本人にやましい点が少しでもあればそれを追及すればいい。しかし、そうしなかった(できなかった)ことは、やましい点がまったく無かったということではないか。たしかに、政治家はいまでも「あれはマスコミの憶測で、私自身は潔白だ」などと弁明する。いわば汚職政治家の常套手段としての弁明の「型」だが、それをこのケースにあてはめていいものか? 私はそれとは別に考えるべきだと思う。理由は述べたとおりだ。