「ハウルが逮捕された後は、僕がこの広場を守ろうと思ってずっとやっていた。ハウルは僕にとって親友ならぬ、心の友と書いて『心友』です。ハウルとだったらなんでもできると思ったし、ずっと待っていた。だけど、ああいうこと(※急死)になっちゃって……。その頃、僕は、身分証も携帯もなくして、仕事もできなくなって、もうめちゃくちゃになっていた。そんなときにハウルがいなくなったから……。もう何もかもどうでもよかった。今となっては“子どもだった”と思っています」
インフィは「子どもたちを助けるために、怒ったりとかすることはせずとにかく話を聞いていました」とも話した。しかし、トー横で、子どもたちとの対話を重ねることによって、その場で認知されていき「よりどころ」をみつけたのは、インフィのほうではないだろうか。
インフィは、歌舞伎町について「はじめて、やっと『自分でいいんだ』と思った居場所」と語る。
ブラジル人と日本人とのハーフでありブラジル国籍のインフィは、ブラジルで生まれ、幼いころに、群馬県へと移住した。子どもの頃は、ハーフは周囲に自分だけしかおらず、日本人しかいないという環境の中で、「自分だけが回りと違う」と感じ、毎日泣いて過ごす日々だったという。
中学に上がると、周囲はアイパーをかけ、単車を乗り回すというヤンキーだらけの環境に。そこで体格のいいインフィはめきめきと頭角を現していく。高校を卒業すると、それまで、母親と暮らしていた自宅を出奔。当時の恋人の家で同棲をしながら、倉庫やフォークリフトの運転などの仕事についていたという。だが20歳の時、「何か違う……」と思い「そうだ、ホストをやろう!」と一念発起。歌舞伎町へと出てきたのだという。
「地元では、田舎だから20歳をすぎるとみんなすぐ結婚して家族をもって。カラコンをしていたり、派手な服装をしていると『いい年をしておかしいよ』といわれる。でも、歌舞伎町では、お化粧をしている男性もいるし、カラコンをしていても何も言われない。自分が自分で許される場所なんだって、思ったんです」
そして、はにかみながら、こう明かす。