勧誘の入り口だけではなく被害者が連れていかれるビデオセンターでの救出活動も行った。統一教会の信者生産施設であることを知らされないまま通っている被害者(受講生)を救出しないと約2か月で信者にさせられてしまうからだ。救出の手法は2パターンあった。1パターン目はビデオセンター前で張り込み、出てきた受講生に声をかけ施設の正体を知らせるというやり方。もうひとつは実際に施設運営者の許可を経て中に入り、ビデオブースにいる受講生に声をかけ、施設の正体を知らせ一緒に退出するというやり方だ。受講生が支払わされていた高額な受講料の返還交渉にも立ち会った。
勧誘の入り口や信者生産拠点での救出に重点をおいたのは、マインドコントロールされ信者にさせられてしまうと救出することが困難になるからだ。マインドコントロールされる前の段階でカルト被害を防ぐことが重要であり、私が当時行っていたのはそんな活動だった。
心優しい青年たちがカルト教団に取り込まれ問題ある行為に手を染めてしまう。そんな姿を目の当たりにして、負の連鎖をどこかで断ち切らねばならないと思い、日々の活動を続けた。
「エイト」という“コードネーム”
当初は実際に街頭で活動を行うだけだった。が、次第に現場で起こった様々なエピソードをブログに書くようになった。
そして詳細は措くが、『統一協会被害者家族の会』『全国霊感商法対策弁護士連絡会』と連携するようになり『日本脱カルト協会(JSCPR)』にも参加した。そこでの繋がりからジャーナリストの藤倉善郎と知り合い、彼が2009年に創刊する『やや日刊カルト新聞』の副代表として執筆活動を行うようになった。
もともとは家族に危険が及ばないよう本名ではなく「エイト」という“コードネーム”を使って勧誘阻止活動を行い、ブログに活動報告を書いていた。20代の頃に行っていた音楽活動では数字の「7」にちなんだステージネームを使っていた。その流れで「8(エイト)」と名乗ることにしたのだ。
「鈴木エイト」となったのは国際会議への出席がきっかけだ。日本脱カルト協会での活動の過程でICSA(国際カルト学会)の年次カンファレンスに2009年のジュネーブ大会から参加することになるのだが、「エイト」だけではなく苗字を付ける必要があるとのことで、ICSA参加のコーディネートをしていた山口貴士弁護士(リンク総合法律事務所)から「鈴木でいいですか?」と言われ了解したことから「鈴木エイト」となった。