ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その14」をお届けする(第1384回)。
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北軍(袁世凱軍)によって日本人が虐殺された南京事件。その解決にあたって、あくまで外交手段で平和的に解決すべきだと主張した外務省政務局長阿部守太郎の談話と同じ紙面(大正2年9月5日付『東京日日新聞』)にあるコラム「近事片々」にはなにが書いてあるか? 前回その一部を紹介したが、ここは冒頭から見てみよう。なお全部で十八項目あるのだが、前半九項目が南京事件に関するもので、とくに問題なのが最初の五項目である。わかりにくいので番号をつけた(記事原文にはこの番号は無い)。
〈(1)△南京 の邦人虐殺は我が國旗を侮蔑し國威を凌辱せるもの擧國憤慨是れ當然耳
(2)△外務 省不取敢北京政府に抗議を提出せるは當然の職責依例曖昧裡に葬る勿れ
(3)△談判 の保障として要地を占領せよと曾我子説く狡猾なる袁に對す是或は必要
(4)△此機 會に於て滿蒙問題の解決を圖れと大石氏論ず談判は此處迄行かねば駄目
(5)△善後 の處置は獨逸の膠州灣占領に倣う可き耳と戸水博士の論亦傾聽に値ひす〉
冒頭(1)で、南京事件は邦人虐殺だけで無く日本国旗を侮辱し国威を凌辱しているものだから、国民としては憤慨する以外には無い、と強調している。もう新聞の「常套手段」という言葉を使っていいだろうが、「国民を煽動して売り上げを伸ばす」という手口である。そして、外務省(つまり政府山本権兵衛内閣)の対処方法は手ぬるいと、「陸軍の応援団」に回っている。
前にも述べたことだが、このように「政府の尻を叩く」という姿勢が「新聞の売り上げを伸ばす」つまり「商売のため」という自覚が少しでもあれば「やり過ぎではないか」という反省が生まれる余地があるのだが、それが大日本帝国にとっての正義だと考えているので始末に悪い。「山本内閣に対して強硬であればあるほど御国のためにもなるし新聞も売れる。一石二鳥だ」などと考えてしまうから歯止めがかからないのである。
(3)に登場する「曾我子」とは「曾我氏」の誤植では無く略語で、大隈伯といえば大隈伯爵を指すように曾我子爵を意味する。曾我祐準(1843~1935)のことだろう。筑後国柳河藩(現在の福岡県柳川市)出身の陸軍軍人である。山県有朋と対立し政界に転じて貴族院議員となったが、「大正三年の第三十一議会では、シーメンス事件に直面し、予算委員長として海軍廓清の立場から製艦費削減による第一次山本内閣倒閣に一役買った」(『国史大辞典』吉川弘文館刊 項目執筆者鳥海靖)という人物である。
要するに、反主流派だったとは言え陸軍の方針には大賛成だったということだ。「要地を占領」とは、保障占領のことである。保障占領とは「国際法上の占領の一つ。条約条項の実施、賠償支払義務の履行などを相手国に強制するために、義務国の領土の一部または全部に対して行なわれる占領」(『日本国語大辞典』小学館刊)で、平たく言えば陸軍を動かして中国の領土の一部を占領し「人質」にしろ、ということなのだ。
中国の国家主権を無視した侮辱行為であることは言うまでも無い。「お前が約束を果たすかどうか保証の限りでは無いから人質を取る」ということなのだが、「狡猾な袁世凱」にはそれが必要だと、ただの人では無い、後に山本内閣の「葬送人」となる元陸軍軍人の貴族院議長が声高にそれを主張していたのである。