日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、ネットスラングも交えた多彩な日本語で文芸評論からコメンテーターとしてのテレビ出演まで幅広く活躍する、ドイツ出身のマライ・メントラインさんにうかがった。13歳の時に地元ドイツで開かれていた日本語教室に通い始めると、思いもよらぬ事態に直面したという。【全4回の第2回】
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読み書き等ができるようになりたいと思って入った日本語教室だったが、そこで使われていたテキストが……
「ビジネスパーソン用のテキストだったんです。例文も『工場の中を案内します』とか『残業します』『本社に転勤します』みたいな(笑)。しかもほとんどローマ字で、多分、日本に出張するドイツ人男性が必要とする日本語会話を網羅してたんでしょうね。でも13、14歳の自分には、あまり現実的じゃなかった。1年間頑張って勉強はしたんですよ。したんですけど、さすがに中学生だから『本社に転勤』はしない。知らんがな、って(笑)」
その後、15歳の時にはいい学習場所に出合えたという。
「地元キールの別の高校の『日本語クラブ』に入ったんです。感覚としては部活みたいな感じかな。お願いして入れてもらいました。
そこで使われていたのは、ベルリンの日本語文化センターが出している高校生のための日本語教材で、『日本の友達に手紙を書く』とか、リアルに想像できる場面が設定されているテキストでした。だから楽しかったですね。
ドイツの高校は、第一外国語はもちろん英語で、第二は大体フランス語かラテン語、第三はそのどちらかというパターンが多いんです。人口が多い地域だとスペイン語の選択もあったと思うんだけど、その『日本語クラブ』があった高校は、第三外国語で日本語も選択できたんですよね。日本語を選んでいなくても、興味のある子のためにこの部活が設けられていました。私が入れてもらった時は、15人くらいいました。
一緒に映画を見たりもしましたね。黒澤明の『乱』。初めて見た日本の映画だったと思います。みんなで『おお!』ってなりました。今考えると渋いですね(笑)」
その頃のマライさんの日本語力はどのくらいだったのだろう。