理不尽な「日本語クラス分けテスト」
最初から積極的に日本語を使っていたわけではない、というマライさんの高校生活。話したい、話そうと思うようになったのはいつ頃だったのか。
「きっかけは修学旅行です。留学して4か月くらい経った頃。シンガポールに行くことになったんです。いつもと違うところでクラスメイトと数日間過ごすって、プライベート感が増すというか、半分非日常になる感じがあると思うんですけど、ここがチャンスだと思った。思い切って日本語に切り替えよう。心に決めたんです。場所が変わることで、自分も変われるんじゃないかと。
多分私は、難しく考えすぎていたんですよね。誰も私が言ってること分かんなかったら虚しいな、とか、変な顔されたらどうしようとか。リラックスするためのきっかけが何か必要で、それが修学旅行だったんですね。
今も時々連絡取ってる友達が『あの頃、マライが言ってるのが今のことなのか過去なのか未来なのか、正直分かんない時もあった』って言ってて、まあ一気にうまくなったわけじゃないですけど、修学旅行以降はもう全部日本語で通しました。
今思えば、新しい単語を吸収できるようになるのに4か月かかったってことなのかな。その後の2か月は結構話せるようになって、残りの4か月はスピード感も出てきて、どんどん良くなっていったんじゃないかと思います」
その後、マライさんはボン大学で日本地域研究を学ぶ。日本文化と日本語を学ぶ「日本学」とほぼ同じで、3年生の時には早稲田大学に留学。しかしクラス分けのレベルテストで思わぬ経験をしたという。
「このテストが〈早稲田で教えている日本語〉に沿ったテストだったんです。たとえば『昨日は頭が痛かったです。〇〇〇休みました』の〇〇〇を『だから』と書くとバツ。『なので』じゃないと正解にされない、みたいな。1から8まであるレベルで、7、8は上級。私は5に入れられたんですが、あまりにも簡単だったので抗議したら6になりました。でも6でも物足りなかった。レベルを一気に2つ上げることはできないっていうルールがあったので、次の年にまた抗議して、やっと8に入れてもらいました。
別に攻撃的な性格ではないんですよ(笑)。でも、勉強しに来ているんだから、という思いがあった。高いレベルのクラスでやれる気がしたし、そこできちんと勉強したかったんです」
(第3回に続く)
【プロフィール】
マライ・メントライン/1983年生まれ、ドイツ北部のキール市出身。姫路飾西高校、早稲田大学に留学。ボン大学卒業後の2008年から日本在住。NHKドイツ語講座などに出演。2015年末から独テレビ東京支局プロデューサー。翻訳、通訳、著述、番組制作と幅広く活躍中の「職業=ドイツ人」。
◆取材・文 北村浩子(きたむら・ひろこ)/日本語教師、ライター。FMヨコハマにて20年以上ニュースを担当し、本紹介番組「books A to Z」では2千冊近くの作品を取り上げた。雑誌に書評や著者インタビューを多数寄稿。