その取材に同席していたという幻冬舎の編集者・壷井円さんも、
「月日や時間、その時ふたりが交わした会話まで一言一句、漏らさず覚えていて、彼は先生をいまだに好きで想っているんだな、と伝わってきました。
先生と過ごした時間を話せることが嬉しいし、ひとつの作品になることが何よりの幸せだといった語りぶりでした。その作品が世に出たら大変なことになるなんて一切、気にもしていなかったと思います」
と明かす。彼は『J』制作中に思いがけない真実も語ったという。
「寂聴先生が2011年に泉鏡花文学賞を受賞された自伝的短編小説集に、“ぼくがいたんです”と教えてくれました。そこで延江さんに急遽、追記してもらったんです」(壷井さん)
まだ3才だった幼い娘を捨て出奔した後、女性として、作家として大きく花開いた瀬戸内さんを延江さんは、「男を捨てちゃ大きくなり、人を喰えば大きくなり」と評する。瀬戸内さんは「母袋」との経験もしっかりと“喰らって”いたのだ。
《数え九十歳での受賞の知らせ。彼女の喜びようは尋常ではなかった。(中略)受賞作『風景』の中の一編『車窓』はJが母袋に出会った頃に執筆していた作品だった。主人公が愛した男の名前に母袋の実名をあてていた》
2021年11月9日、瀬戸内さんがこの世を去ると、母袋はこれまで秘してきた《かつて愛した恋人》の存在を延江さんにそっと打ち明けた。かけがえのない人を失った男の表情は、いまも延江さんの脳裏にはっきり刻まれている。そこから18回ほど取材を丁寧に重ねて、『J』の執筆に臨んだという。
「性愛そのものを否定する風潮へのアンチテーゼ」
「コンプライアンスが叫ばれるこの時代、婚外恋愛があっても、それが消し去られて“漂白”された世の中になってしまっている。鮮血が滲むような話も小説も出てこない。みんな、身の丈30cmの安全圏で暮らしていて、魂がゆさぶられるような恋愛に出会えなくなっています。ちょっと踏み込んだら消される社会で、瀬戸内さんと母袋は人からは不倫と指弾されるかもしれませんが、愛欲を貫きました。
広末涼子さんの不倫にしたって先生が生きていらしたら、きっとさらりと、『広末さん、いいじゃない。だって、男を好きになったらしょうがないもの』なんてね。モラルよりも恋心に視線を向けたのではないでしょうか」(延江さん・以下同)