日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、無類のパフェ好きとしてテレビ等への出演も多数ある、フィンランド大使館勤務のラウラ・コピロウさんにうかがった。【全3回の第3回】
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ラウラさんのインスタのパフェレビューは、感想や印象だけでなく、味や色や香りがよみがえらせる光景や記憶の記録にもなっている。言葉をたぐり寄せ、組み合わせて、ひとつのパフェから広がる鮮やかで深い世界を表現するのは、楽しくも難しい作業ではないだろうか。ラウラさんはどんな工夫をされているのだろう。
「昔、ブログを書いていた時に、よく類義語を検索していたんです。言いたいことを別の言葉で言うなら何だろう? と思いながら探すのがすごく楽しかった。今、インスタに投稿する時も必ず、もっと合う表現ってないかなと思いながら言葉を探しています。毎回『おいしい』『感動しました』だとつまらないので、若干自己満足かもしれないけれど、違う言い回しを使ってみる、試してみることを心がけていますね。
好きなのは、ドキドキ、キラキラ、ピカピカ、ツヤツヤみたいな繰り返しの言葉。言葉の中にスパイスが入っている感じがするし、響きが可愛くて好きです」
表現が増えると感情も増える。言葉と感情は連動しているからだ。逆に同じ言葉ばかり使っていると、気持ちも単純になるし、表現も平らになる。
「日常生活では、一番簡単な、真っ先に思いつく言葉を使いがちですよね。でも、例えばツバメが飛んでいることを言いあらわしたい時、『ツバメ』を知っていたら『鳥』は使わない。『鳥』で済ませない、って言ったらいいかな。まったく頑張ってないような日本語を使うのは悲しいから、言いたいこと、説明したいことにできるだけ近い言葉を選びたいという気持ちがあります」
一番簡単な言葉を使いがち、まったくもってその通りだ。面白い、おいしい、かっこいいなどと言いたい時、わたしは「やばい」を連発してしまう。「やばい」を使わない日はない。
「さっき高校時代の日本語の先生の話をしましたけど、先生、こう言ったんですよ。『ラウラ、〈やばい〉〈超〉〈めっちゃ〉。この3つの言葉は絶対使っちゃいけないよ。〈とても〉とか〈非常に〉〈ほんとうに〉に言い換えなさい』って。
先生がこの3つを禁止したのは多分、カジュアルすぎるし万能だからだと思うんです。表現力が育たなくなるって、先生は思ったんじゃないかな。今はふざけて友達に『私、〈やばい〉は使っちゃいけないんだよね』って言って、その次に冗談で『めっちゃやばい』って言うとみんな笑う、みたいなひとつの流れがあるんですけど(笑)今でもその3つは、どこか心に抑制が働いて、口から出そうになると『あっ、いけない』ってストップがかかります。単純な言葉って化石化しがちで、慣れちゃうとそれに頼ってしまうから、先生がそう指導してくれて良かったと思います」
とても格好いい、素敵な先生だったのだなと思う。ラウラさんがこれからたくさんの日本語を獲得し、その3つを自分自身で「解禁」しようと判断する日が来ることを分かっていたのだろう。相手を信頼しているからこそ、できることだ。