読み味は正直、不快にも近い。それなのにグングン引き込まれ、1話読む毎に身や心にイヤな汗をかかされる、小田雅久仁氏の待望の新刊、その名も『禍』。
「はじめは収録短編の中からどれか選んでタイトルにしようと思ったんですが、今回は身体の一部をモチーフにした短編7作の中に、怪奇小説っぽいタイトルのものがたまたまなく、禍ならそれっぽいし、漢字1文字なところもいいなと。実は『本にだって雄と雌があります』(12年)の時に反省したんです。こういう取材で一々長たらしい題名を語ること自体、結構恥ずかしい感じなんだなって(笑)」
それこそ表紙の『禍』の文字からして不吉で不穏なものが今にも這い出してきそうなデザインで、正視が憚られるほど〈ヤバい〉。が、たとえ見ようとしなくても、その鼻も耳も髪も人間にはたいてい備わり、そんな不気味で罪つくりな器官を自分も無意識に持つことに、おそらく読む者はゾッとさせられるのである。
実は第1話「食書」から最終話「裸婦と裸夫」まで、初出は早いもので2011年9月、最直近のものは2022年8月と、足かけ11年近くに亘る。
「第2話の『耳もぐり』が執筆時期としては最も早く、個人的にも初めて文芸誌に載せていただいた思い入れのある作品でもあります。
その『耳もぐり』が耳の穴を一つの境界にして、人が人の中に潜ったり潜られたりする怪奇小説だったので、怪奇小説と身体の一部という2つの縛りで書いていき、自分でも納得できる作品がようやく1冊分貯まったという感じですかね。ずっともどかしかった宿便がやっと出せたといいますか(笑)。
ちなみに僕としてはホラーとも多少違うし、奇妙で怪しげな話という意味で、怪奇小説という言葉を選んでいます。自分でも書きながら『気持ち悪い話だな』とか『イヤな話だな』とは思っても、『怖い話だな』とはあんまり思わないので」
例えば〈子供の時分から腹が弱くて苦労したせいか、便所を探しまわる夢をやたらと見る〉と、何やら尾籠な書き出しで始まる第1話「食書」。主人公は離婚以来、H市のアパートに一人住む小説家・私で、彼が近所のショッピングモールにある〈永文堂書店〉隣の便所である光景を目撃して以来、虚実を超えた奇妙な世界に転落していく様が、牽引力満点の文体で描かれる。
〈本屋に長居すると決まって便意を催す〉彼が一人で永文堂の隣に見つけたお気に入りの〈多目的トイレ〉に入ろうとした矢先、先客と遭遇。その便器の蓋に座って単行本を開く40絡みの女は、本の頁を千切っては丸め、口に押し込む作業を黙々と続け、唖然とする彼に気づくとこう言ったのだ。〈絶対に食べちゃ駄目よ〉〈一枚食べたら〉〈もう引きかえせないからね〉
そして〈その毒、またの名を“言葉”と言う。私は骨の髄まで真っ黒になるほど“言葉”に冒されている〉と自認する作家は、やがてある考えに魅入られていく。〈解毒剤は一つしかない〉〈書物を、読むのではなく、書くのでもなく、喰う。喰えないはずの本を喰うという“情念”を伴った破壊的行動によって“言葉”を超克し、“言葉”以前の存在にまで遡るのだ〉と。