1980年代末期から1990年代にかけて数々の凶悪事件を起こし、世間を震撼させたオウム真理教。2012年までに特別指名手配中だったオウム逃亡犯が次々に逮捕され、2018年7月には教団を率いた麻原彰晃ら元死刑囚の刑が執行されたが、それで事件が完結したわけではない。今年8月2日には、法務省が麻原元死刑囚の刑執行前、「詐病の疑い」があることを文書にまとめていた事実が報じられるなど、議論はなお続いている。
社会部記者として一連のオウム事件を最前線で取材した産経新聞の大島真生氏が、1995年3月20日に発生した「地下鉄サリン事件」前後の出来事について、“もう一つの事件現場”で遭遇した知られざるエピソードを披露する。
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その瞬間、まさに背筋が凍る思いがした……。坂本弁護士一家を殺害し、松本・地下鉄両サリン事件で無差別大量殺人を実行したオウム真理教(アレフに改称)。その信者だった元死刑囚たちが山梨県上九一色村(現・山梨県富士河口湖町)の教団施設で地下鉄サリン実行直前にサリン散布の“予行練習”をしていた刹那、わずか300メートル程しか離れていない場所に、当時産経新聞甲府支局(山梨県甲府市)に勤務していた自分がいたという驚愕の事実を後に知った時のことだ。
サリン事件を象徴する「第7サティアン」
アレフの信者が大阪市内の教団施設への立ち入り検査を妨害したとして公安調査庁から団体規制法違反容疑で今年7月に刑事告発を受けた大阪府警は教団の捜査に着手。殺人など違法行為を繰り返しながら、いまだに順法精神を欠いたままの教団側と警察の闘いは現在も継続中だ。
地下鉄サリン事件が起きた1995年当時、富士山の麓の広大な土地にサティアンと呼ばれる教団施設が点在していた。そのサティアン群のうち第7サティアンは、サリン事件を象徴する建物。サリンの大量生産に向けたプラント(大型機械)が一時期設置され、横にはプレハブ造りのサリン実験棟があった。
サリンの漏出で異臭騒動が起き、サリンを化学的に合成した際だけに生成される自然界には決して存在しない物質を、警察が採取したのもここである。この建物の中で地下鉄サリンの実行犯たちは、サリンに見立てた水が入ったナイロン袋を床に置いてビニール傘の先端で突き刺し電車内に撒く練習を行い、サリン入りの袋をここで受け取って、その足で犯行現場へと向かっていたのだ。