心筋梗塞で舞台を降板
保奈美は1984年にホリプロスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞し、芸能界入り。1986年には大学を中退して芸能活動に専念し、ドラマやCMで活躍した。1991年に織田裕二(55才)と共演した『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)は最高視聴率32.9%を記録。「恋愛ドラマの金字塔」と評された。
一方、天海が宝塚歌劇団で初舞台を踏んだのは1987年のことだ。
「新人時代から目立つ役に抜擢され、1993年には初舞台からわずか6年半という異例のスピードで月組の男役トップになった。1995年の宝塚退団翌年にはドラマ初出演を果たし、当初から話題作への出演が続きました」(テレビ局関係者)
トレンディードラマでその名をはせた保奈美と、宝塚出身のスター天海。当時は主役級の女優が共演することはほとんどなく、2人が同じドラマや舞台で顔を合わせることはなかった。そして、1998年に保奈美は第一線から姿を消す。
「とんねるずの石橋貴明さん(61才)との結婚と、妊娠3か月であることを発表し、家庭中心の生活に入りました。3人の娘の母親として子育てに奔走し、女優としてのブランクは12年に及びました。ただその間、“ママ”としてのみ生きる自分の現在地に疑問を感じたこともあったそうです」(前出・芸能関係者)
2011年、NHK大河ドラマ『江?姫たちの戦国?』で、江の母・市役で復帰。その後、ブランクを取り戻すかのように精力的にドラマに出演し、2016年には18年ぶりの連ドラ主演も果たした。
「長いブランクを経たことで女優業への熱が再燃し、“勉強しなきゃいけない”と俳優仲間と演技について語る時間を持つようになったそうです。休業期間にはドラマだけではなく舞台も数多く観劇した。若い頃に舞台出演をほとんどしなかったことへの後悔もあったそうです。だから舞台とドラマの両方で活躍する天海さんのようなかたに対し、うらやむ気持ちもあったようです」(前出・芸能関係者)
保奈美が不在だった間、天海はますます存在感を増し、舞台でも宝塚時代とは違う演技を磨き続けた。2010年には劇団☆新感線の舞台『薔薇とサムライ』で女海賊を演じ、看板俳優・古田新太(57才)と堂々と渡り合った。だが、保奈美の復帰からほどなく、天海は大きな危機に見舞われる。
「2013年、出演中の舞台終了後に体調不良を訴え、軽度の心筋梗塞と診断されました。10日間ほどで無事退院しましたが、舞台は降板となり、宮沢りえさん(50才)が代役を務めることになった。責任感の強い天海さんは降板に大きなショックを受け、自身の体調管理の甘さを責めたそうです」(別の芸能関係者)