私たちは平和な時代に生きていると錯覚している
なぜ人々は、ナポレオンを英雄としてまつりあげるのだろうか。
〈ナポレオンが戦争好きであったことは歴史の事実であろう。しかしそのナポレオンを支持したのは当時の大半のフランス国民である。そうでなければ、戦争に疲れ果てたはずのフランス国民が、ナポレオンに取って代わったルイ十八世の王政復古から、ものの四十年も経たないうちに、ルイ・ナポレオンを帝位につかせたりはしなかったはずだ。
大衆はどこかで英雄を待ち望み、絶対権力に抱かれて暮らすことで安堵をしているのではなかろうか。しかしそうだとしても、それは大衆の弱さではなく、元々集団で生きるということは、そういう形態を取らざるを得ないのではなかろうか。〉
英雄を生み出すのは大衆である。そして大衆の意志が戦争を肯定するようになる。「国家が急成長して、力を付けると大半の国民は傲慢になる。自分たちが世界の中心であると錯覚してしまう。それがやがて戦争を肯定し、後押しするようになる」と著者は説く。これはかつて日本が戦争に突き進んだ道のりとも重なるし、今のウクライナ情勢にも通じる真理ではないか。
ナポレオンが破れたワーテルローの戦場跡で、著者は美しい野の花を目にする。そして一番星を眺めながら、「この星は、あの激戦の後、この丘陵を照らし出していたのだろうか……」と思いを馳せる。
〈私たちは平和な時代に生きていると錯覚している。ところが歴史の勉強をして行くと一目瞭然だが、世の中の構造が大きく変容するのは、そのほとんどが戦争を契機としている。歴史を学ぶ子供たちが教えられるのは、いつ戦争が起こり、その結果どんな世の中になり、その世の中を、どの戦争が変えたかである。何のことはない大量殺戮の年代順を学んでいるに過ぎない。〉
ナポレオンは南海の孤島、セント・ヘレナ島で流刑人として最期を迎えた。皇帝として栄華を極めた英雄としてはあまりにも寂しい最期だった。いかにナポレオンが危険視されていたかがわかる。だが、その後、ナポレオンの遺骸はパリへと凱旋する。戦争に明け暮れた人物を、国民たちは再び英雄として迎え入れ、今に至っているのだ。
どれだけ戦争の悲惨さに直面しても、私たちはまた同じ過ちを繰り返してしまうのか。ナポレオンの生涯をたどることは、人間と戦争についてあらためて考える契機となるだろう。
撮影/太田真三