「娘が0才のときから“親切な人に助けてもらって生まれたんだよ”と話しかけていました。早過ぎると思われるかもしれませんが、正直、私たち親にとっての『出自の告知』の練習の意味合いもありました」(寺山さん)
寺山さんの妻が振り返る。
「もちろん娘は理解できるわけもありませんでしたが、3才になった頃に“私はパパの卵じゃないの?”と聞いてきたんです。“そうだよ。親切な人に卵をもらって生まれたのよ”と伝えると、今度は“親切な人って誰?”と真顔で質問されて。正直、とても驚きました。振り返るとこの瞬間が、娘の中で、告知の点と点が線で結ばれて、意味を理解した瞬間だったのかもしれません。
それからしばらく、“パパの卵がなかった話”になりそうだと感じると、嫌な顔をするようになってしまったんです。でも、そのままではいられません。ある夜、AIDについて話をしていたときに、娘が“何話してるの?”と聞いてきたんです。改めて、“パパに卵がなかったからあなたに会えたんだよ。あなたに出会わせてくれて、親切なドナーさんにも感謝しているし、パパとママは本当によかったって話していたのよ”と伝えました。娘は笑顔で“私もうれしい!”と言ってくれて。4才になったいまはさらに理解が深まっています」
前出の鴨下医師に聞いた。
「子供の分別がついてから告知をしたいと考えるご夫婦も多いのですが、理解が早い一方、同時に子供が社会生活の中で『親=血がつながっているもの』という認識を自然と持ち始めている可能性が高くなります。その認識を持った後の告知は、自分の“当たり前”を否定されることになり、衝撃と不安を与えることになってしまいます。
大切なこの家族ができた重要な真実であり、家族の根幹となる“自分たち家族だけの物語”を幼い頃から話してあげて欲しいと思います」
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「告知」は、遺伝的なつながりがないことをただ子供に伝えるためのものではない。子供にとっては、自分の命の尊さと、“両親”からの愛情を再認識する機会でもある。世間の理解が深まると同時に、「出自を知る権利」がしっかりと保障される制度の整備が待たれる。