生みの母と育ての母が存命の間は気を遣った
生みの母との青森での別れは、交流の始まりだった。
「母は地元の役場勤めの人と再婚していて、僕が俳優になったとき、そのご主人が僕をとりあげた新聞記事を母親に見せてくれたとか。母はビックリしたけど喜んでいた、と後に聞きました。僕が結婚し子どもが生まれると、東京まで孫の顔を見に来てくれたり、ちょこちょこ上京して来てくれました。
でも、叔母は『今さら何しに来てるんだ』って嫌がってね。嫉妬したのでしょう。叔母が東京へ遊びに来ることもありましたから、なるべく2人が東京でかち合わないようにしたり、お互いの話をしないようにしたり、気を遣いました」
育ての母・みつ江さんは4年前に、生みの母・百里さんは25年ほど前に亡くなった。伊吹さんにとっては育ての母・みつ江さんへの思いが強いという。
「生みの親より育ての親、と言いますが、僕の場合はそれがよく当てはまるんです。生みの母を見ていても、育ての母の姿が重なって見えてしまう。やはり育ての母とは僕が幼い頃に生活を共にしていましたから、思い入れが強いんですね。親子の絆とは、そういうものではないでしょうか。
育ての母は僕がまだ売れない時代、『がんばれ』と応援してずっと仕送りをしてくれました。おかげで、僕は下積み時代にも一切、アルバイトをしたことがなかったんです」
みつ江さんは伊吹さんが売れてからも、「私が育てた子よ!」と自慢して回るようなことはせず、陰ながら応援し続けてくれたそうだ。
(第2回に続く)
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/山口比佐夫