岡本太郎の言葉と作品を伝える特撮番組『TAROMAN』が視聴者を惹きつけた要素のひとつは、綿密に設定されたフェイクドキュメンタリー的要素だ。かつて1970年代に放送された特撮番組という架空の設定となっており、今回放送の『TAROMAN』はその再放送であるという体裁が取られた。
初回放送ではフィクションであることを明かすネタばらしがなかったことや、本編後にサカナクション・山口一郎が『TAROMAN』マニアとして愛を語るインタビューパートが挿入された構成の妙もあって、本当に1970年代に実在していたと勘違いをする視聴者も続出した。『TAROMAN』を手掛けた映像作家・藤井亮氏は、意外にもNHKはフェイクドキュメンタリー的な演出に協力的だったと明かす。
聞き手は、『1989年のテレビっ子』『芸能界誕生』などの著書があるてれびのスキマ氏。現在、ネットで話題の「フェイクドキュメンタリー」に意欲的に取り組んできたテレビ番組の制作者にインタビューを行なう短期シリーズの第1回【前後編の後編。文中一部敬称略】。
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「全員平成生まれ」特撮回りのスタッフで作り上げた“1970年代の空気感”
『TAROMAN』は元々、「展覧会 岡本太郎」の関連番組として制作したものだ。『テクネ 映像の教室』の委嘱作品「サウンドロゴしりとり」などで共に仕事をし、藤井亮の企画力や制作力を目の当たりにしたNHKエデュケーショナルのプロデューサーの倉森京子が、藤井に白羽の矢を立てた。「岡本太郎の言葉を伝える番組」というオーダーの中、1970年代の特撮モノのフォーマットに至った経緯を監督の藤井亮は次のように語る。
「岡本太郎関係の番組って、NHKではドキュメンタリーからドラマまでほとんど全部やっちゃっているという状況で、そうではない、なんか面白いことをやりたいというのがあったんです。
それで、太陽の塔を実際に見た人は絶対にみんな想像すると思うんですけど、太陽の塔からレーザーが出て街を焼き払っているようなイメージが浮かんできたんです。それを映像化したら楽しいんじゃないかって。
他には、岡本太郎の言葉を歌にしてミュージックビデオのようなものを作る案もあったんですけど、打ち合わせで『TAROMAN』の案を最初に出したら、みんなのウケが一番よくてもうこれがいいと」
藤井は1979年生まれ。幼少期、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』の新作が制作されていない特撮谷間の世代だ。特撮モノの多くは再放送で見たという。そんな彼が、目の肥えた特撮ファンをも唸らせる特撮作品を制作できたのはなぜなのだろうか。
「実は今回の特撮回りのスタッフは、全員平成生まれなんです。僕も含めて『TAROMAN』が放送されていた設定の1972年以前に生まれた人がいない。特撮をメインでやってくれた石井那王貴(特殊映画研究室)くんも相当若くて、当時の特撮がすごく好きで研究している人。全員リアルタイムじゃないからこそ、余計に憧れとか作ってみたいという情熱があったんだと思います。
制作スタッフは、SNSでそれっぽいことをやっている人を探しては、声をかけたりして集めました。最初は『ホントにそんなことやるの?』って怪しんでましたね(笑)。普段からちょっとこの人面白いなという人は気に留めています。『帰ってくれタローマン』(今年8月放送)で出てくる『ウルトラQ』のようなタイトルも、ああいったマーブリングの映像を現在でも手がけている大場雄一郎さんという方がいたので声をかけました」