升田先生は1952年、将棋界を揺るがせた「陣屋事件」の主人公となった。木村義雄・名人との王将戦で、升田先生(当時八段)は第6局の対局場となった神奈川県秦野市の旅館「陣屋」を訪れたものの、ベルを鳴らしても出迎えがない。これに激怒した升田先生は対局を拒否し、王将戦はそこで打ち切りとなった。
当時の王将戦のルールでは「指し込み」制度が採用されており、すでに第5局までに4勝していた升田先生が木村名人相手に香車を引いて戦う予定になっていたが、この事件によって実現しなかった。
世に伝わる定説は、「名人に香車を引いて自分が勝てば、名人の権威が崩壊する」と危惧した升田先生による、自作自演の対局拒否騒動だったというものである。
僕はこの事件の「真相」を知りたいと思い、当時将棋連盟の幹部として事情をよく知る立場にあった丸田祐三先生(九段)にも質問したことがある。しかし、丸田先生の答えはこうだった。
「それは墓場まで持っていく話」
升田先生は自身の著書でこの事件について説明している。だが、僕はせっかくお会いできるならば、直接本人にお聞きできないものかと密かに思っていた。
しかし、それは無理だった。升田先生の「圧」を前に、その質問を繰り出せる人間は誰もいなかったのではないだろうか。