アナウンサー、タレント、司会、芸能事務所会長など多くの顔を持つ生島ヒロシさん(72才)。平日は朝5時からラジオに出演するなど、体力はいまだ衰え知らず。その元気の秘訣はどこにあるのか──。40年以上も親交があるコラムニストで放送作家の山田美保子さんが迫りました。
テレビとラジオを両方やれたのはキャリアとしてプラス
山田:改めて面と向かうと、なんだか照れくさいですね。私と生島サンはつきあいが長いんで……。
生島:そう、TBSの旧社屋で、ぼくらのアナウンス室と山田さんのキャスタードライバーの控室は隣同士だったから。初めて会ったのは……?
山田:私は松田聖子サン(61才)と同期ですから(笑い)1980年入社。もう43年前になりますね。生島サンは、同期の男性アナ4人で「TBSヤングライオンズ」と呼ばれていて。
生島:実は当時、TBSは男性アナウンサーの採用を10年近く控えていたんですよ。久米宏サン(79才)という大スターがいて、小島一慶さん(享年75)もいて、その下はアナウンサーで入っても局内で異動して……。だからぼくのときはいきなり4人で。
でも、ぼくは法政大学を中退した後、渡米して大学に入り直して卒業後にTBSを受けたので同期よりは年上だったし、何より“浦島太郎状態”で、筆記試験の成績はさんざんだったと思いますよ。忘れられないのは、「ラン、スー、ミキ」という言葉を使って表現するという出題で、あ、もちろん、キャンディーズのことなんですけれど、ぼくはわからなくて、中国人の売れっ子三人娘だと思ってた(笑い)。一方で、アメリカの大学ではジャーナリズム科に通っていたのでメディアの在り方や方向性などについてはしっかりした意見が言えたんで採用されたんでしょうかね。
「日本の終身雇用制は終わります」ということまでハッキリ言って「ですからぼくはTBSのアナウンサーで終わる気はありません」って……。
山田:局内では有名なお話ですよね。その言葉どおり、在籍13年で退社されてフリーランスに。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)や『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ系)など他局の看板番組をたくさん担当されていましたが、TBSラジオの『生島ヒロシのおはよう定食/おはよう一直線』は……。
生島:開始して25年になりました。
リアルタイムで聴いてくださっているかたも多いんですが、いまは「radiko」のおかげで、「お昼過ぎに聴いています」なんていうリスナーのかたもいらっしゃる。一時は斜陽産業なんていわれていたラジオでしたが、「radiko」の出現で劇的に環境が変わりましたよね。
『おはよう一直線』はコメンテーターのかたも非常にすばらしいかたに出ていただいていて、有名無名問わずリスナーのかたにわかりやすく話しかけてくださるかたばかりなんです。経済では、岩本さゆみさんという山田さんと同じ青山学院大学出身のかたにお願いしています。卒業後、外資系の企業に入られて、知らない言葉ばかりに出合ったことで「それをいかにわかりやすく説明するにはどうしたらいいか」をずっと考えていらしたそうなんですね。だから解説が誰よりもわかりやすい。