先崎学を傷つけたキャプション
奨励会入りした羽生さんは順調に昇級・昇段を重ね、1985年に中学3年生で四段に昇段。谷川さん以来の中学生棋士として注目されたが、プロデビュー戦の注目度は後の活躍を考えれば決して高くはなかった。
それでも宮田利男・六段とのデビュー戦の写真は写真週刊誌『FOCUS』に掲載された。いまでこそ藤井聡太さんはスポーツ誌や女性週刊誌の表紙にも登場するが、当時、一般誌に掲載されるほどバリューがある棋士はそういない。100万部以上の発行数を誇った『FOCUS』に掲載されたことで、僕のところには「見たよ」という反響がかなり多く寄せられた。
この日、羽生さんを撮影した写真は『将棋マガジン』にも掲載された。昼食休憩時、羽生さんのもとに当時奨励会初段だった先崎学さんがやってきた。僕は2人が一緒にいるところを撮って編集部に託したが、その写真には〈昼食休憩時の羽生四段(右)。左は元天才?の先崎初段〉とキャプションが添えられた。おそらく当時の編集部が冗談半分でつけたのだろう。
米長邦雄さん(永世棋聖)の秘蔵っ子だった先崎さんは、奨励会入会時に「天才少年」と呼ばれたが、同学年の羽生さんに追い越された。この「元天才」というワードにひどく傷ついた先崎さんはプロ棋士になったあと、そのときの悔しさについて詳しく書いている。悪意で撮ったわけではない写真も、使われ方次第でこういうことが起きてしまう。繊細な棋士の感性を改めて思い知らされた。
その後、八王子にある羽生さんの実家にも取材に行った。自転車に乗った制服姿の羽生さんやご家族、自宅の部屋などを撮影させてもらった。
その数年前、18歳の谷川さんを自宅で取材させてもらったときは、どこか構えた様子の写真しか撮れなかったが、羽生さんは不思議とシャッターを切るだけで絵になった。
1987年に刊行した僕の写真集で、新四段だった羽生さんはこう紹介されている。
〈中原、米長らの地位をおびやかす十代の天才少年が現れた。慎重な二上九段をして「師の目からみて少なくともA級八段はいく」と言わしめた超新星。将来の名人候補の呼び声も高い新四段。それが羽生善治である〉
結果的にはこの予言のはるか上を行くことになるが、本当に羽生さんが日本中を巻き込むブームを巻き起こすのは、まだしばらくあとのことだ。
※弦巻勝『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』より一部抜粋・再構成
【プロフィール】
弦巻勝(つるまき・まさる)/1949年、東京都生まれ。日本写真専門学校を卒業後、総合週刊誌のカメラマンに。1970年代から将棋界の撮影を始め、『近代将棋』『将棋世界』など将棋専門誌の撮影を担当する。大山康晴、升田幸三の時代から中原誠、米長邦雄、谷川浩司、羽生善治、そして藤井聡太まで、半世紀にわたってスター棋士たちを撮影した。“閉鎖的”だった将棋界の奥深くに入り込み、多くの棋士たちと交流。対局風景だけでなく、棋士たちのプライベートな素顔を写真に収めてきた。日本写真家協会会員。
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