「全冠制覇」まであと1勝に迫った藤井聡太・七冠。10月11日の王座戦第4局で永瀬拓矢・王座に勝利すれば史上初の「八冠」となる。「全冠制覇」は羽生善治・九段(日本将棋連盟会長)が1996年に七冠(最新のタイトル「叡王」は2017年から)を達成して以来の偉業だ。
「将棋界の歴史」が変わる瞬間が目前に迫るなか、50年の長きにわたってプロ棋士たちの活躍と日常を写真に収めてきた写真家・弦巻勝氏の著作『将棋カメラマン 大山康晴から藤井聡太まで「名棋士の素顔」』が発刊された。「羽生世代」の1人であり、その生涯を描き、のちに映画化もされたノンフィクション作品『聖の青春』で知られる村山聖。弦巻氏が撮影のために村山の自宅を訪ねた際の仰天エピソードを紹介する。
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村山聖「早く将棋をやめたいな」
「羽生世代」の多くはいまもトップ棋士として活躍中だが、もう撮影も取材もできなくなってしまった棋士がいる。1998年に29歳の若さで他界した村山聖さんだ。将棋ファンであれば、大崎善生さんの『聖の青春』(講談社刊)を読まれた方も多いかもしれない。
僕は1987年、新四段になった村山さんを関西の自宅アパートで取材した。媒体は『将棋マガジン』で、何とインタビュアーは将棋界の重鎮・米長邦雄さん(永世棋聖)だった。
米長さんは「将棋道」にこだわりのある人で、たとえば将棋盤の上に何か物を載せたりすることはもちろん、駒が紛失した場合、別のところから持ってきた駒で代用するようなことも絶対に許さなかった。棋道に反する、というわけである。
ところが村山さんの自宅はほとんど「ゴミ屋敷」と化しており、盤駒はボロボロ。紛失した桂馬の代わりに置かれていたのは、何と10円玉だった。
僕は米長さんが本気で怒り出すかと思ってヒヤヒヤしていたのだが、意外にもむしろ面白がる様子だったことに驚いた。当時の記事(『将棋マガジン』1987年11月号)にはこんなやりとりがある。