普段の人間関係の中で、「人を疑うこと」が良いことなのか悪いことなのかと問われれば、私は後者だと答えるだろう。しかし、取材となれば話は別だ。情報が少ない場合、面白そうな展開の話をしてくれる取材相手というのは信じてしまいたくなる。だが、そんな内情を承知の上でジャーナリストに接近してくる手合いがいることも私は知っている。安易に人の話を信じてロクなことはない。事件記者から見れば世の中は嘘ツキばかりである。
だが、この人達に嘘を吐く理由はなかった。彼らにはこの事件に関して利害関係がそもそもないからだ。警察の件にしても「犯人だ」というのはどうかと思ったが、見たところ二人とも妙な思い込みを持つタイプにも見えない。
被害者側が、警察の対応に不満を感じて逆恨みする場合はままある。警察のせいで事件が起きたのだと思い込んでしまう人だっている。しかし、島田さんの口調や表情は、そういった人達によく見受けられるアンバランスさからは遥かに遠い。
店員がグラスを四つ運んできた。消えたままのモニター、黙りこくった四人、コードが巻かれたままのマイク。さぞや異様な光景であったろう。
私はもう、ずっと昔にタバコを止めている。しかしこんな時である、もう一度オイルライターで火を点けたくなるのは。カシャ、と蓋を開け、シュポ、と火を点ける。そんな「間」が欲しかった。私は、代わりに手の中のボールペンを二度ノックしていた。うるさいはずのカラオケボックスに、安物のボールペンが立てるパチパチという音さえ響いていた。
「先ほどの話ですけど」咳をしてからそう言ったのだが、声が少し嗄れてしまった。「私が殺されたら犯人はA、という言葉は詩織さん自身が言ったのですね」
島田さんと陽子さんは同時に頷いた。
「僕達は何度もその言葉を聞きました。彼女の部屋には遺書みたいなメモまで残されていました。詩織はそうまでしてAのことを言い遺そうとしていたんです。それなのに、僕達は何もできないままで……。警察にも相談したのに警察は何もしてくれませんでした。それで結局詩織は殺されてしまったんです……。今は僕達だって怖いんです。今度は僕達の番かもしれないんです」
「犯人」が警察だというのはそういう意味だったのか。相談したにも拘らず、対応してくれなかった。ストーカーを取り締まる法律はこの時点では日本に存在しない。何かと言えば民事不介入を言い立てる警察のことだ、取り合わなかったのも頷ける気はした。
だがそれと同時に、取材をしていたときに感じた詩織さんの友人達の頑なさが朧気ながら分かったような気がした。殺されるかも知れない、という恐怖すら彼らは感じていたのだ。私は殺される、と言っていた詩織さんが実際に殺され、しかも警察が取り合ってくれないことは詩織さんの件で証明済みだ。カラオケボックスに来るまでの島田さん達の警戒ぶりも腑に落ちた。