スーダン、シリア、イラク、イエメン──。世界の紛争地区で避難する人々は着のみ着のまま逃れ、家も学校もない。そんな過酷な場所で生き抜いている人々を目の当たりにしてきた国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏の著書『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版)より一部抜粋し、再構成してお届けします。【前後編の前編】
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「国境なき医師団」に所属していると言うと、医師だと思われることが多い。だが僕は医師ではない。海外派遣スタッフの半分は、非医療従事者。ここでは医師や看護師だけが働いているわけではないのだ。
そもそも国境なき医師団は、1971年に医師とジャーナリストが設立した、人道援助団体。「中立を守るためには沈黙を保たなければいけない」という、当時の赤十字国際委員会の方針に疑問を抱いた人たちが、フランスで設立した。
医療と証言活動の2つを軸にして「独立・中立・公平」の活動原則の下、70を超える国や地域で人道援助を展開している。
僕はもともとIT企業の営業マンだった。そんな僕が最初に担当したポジションは、サプライ・ロジスティシャン。
医師が100人いても、薬がないとなにもできない。援助活動に必要な医薬品などのすべての物資の調達と在庫管理を担当した。サプライチェーンの管理がしっかりしないと、すべてのプロジェクトが悪影響を受ける。きわめて大事な役割だった。
その後、プロジェクトのマネジメントを行うプロジェクト責任者になった。
チームの安全管理や現地当局との交渉がうまくいくかどうかも、紛争地では死活問題。営業マン時代にきたえられたコンテクスト(状況)を把握する力や、ネットワーキングのスキルが大いに役立った。
そして国境なき医師団の歴史で日本人としてはじめて、派遣国のすべてのプロジェクトを指揮する現地の活動責任者に抜擢(ばってき)された。
いまでは現場の経験を活(い)かし、事務局長として日本の事務局の運営を行っている。
僕がこれまで世界の紛争地で出会った人たちには、生きる上で多くの制限があった。突然、命を奪われる現実があった。生きる上での尊厳を奪われる現実があった。