続けられた理由は「同僚たち」
このように、日本とはまったく状況が違う心身ともに過酷ななか、僕がこの仕事を続けていこうと思った理由のひとつは、世界中から派遣されてきた「同僚たち」だ。
肌の色も、髪の色も違う。もともとの話す言語もまったく違う。
でも、彼らに対して共通して僕が抱いたのは、「なんてモチベーションが高くピュアな人たちなんだろう」という思いだった。
それぞれおとなしく自分の国で働いていれば、もっと安定した快適な暮らしを家族や友人たちと送れるはず。それなのに、わざわざアフリカの紛争地にやってきて、自分の人生にまったく関わりのない人たちのために一生懸命に働いている。
その一点で、もう十分に彼らをリスペクトできた。
「おいしい食べものもなく、毎日40度を超えるほど暑い。それなのにホントよくやるなあ、この人たちは」。これがいつも思っていたことだ。
国境なき医師団の現地での朝のはじまりは、早い。7時には宿舎を出て歩いて15分ほど離れたオフィスの駐車場まで向かうのだが、夏はすでに温度計を見るのもイヤになるほど暑い。
そんななか、緊急医療用のキットなど、背中よりも大きく重いリュックを背負うのだ。両方の腕から汗をたらしながら力強く一歩一歩進む彼らの後ろ姿は、見ていて頼もしかった。
共同生活なので、仕事を終えたあとは宿舎で夕食をみんなでとる。
これは、その日の出来事をシェアしたり、だれかの悩みを聞いてあげたりと、大切な時間だ。性格や仕事のやり方の違いから仲が悪いスタッフもいたが、患者の話になるとチームは心がひとつになった。
そして彼らの仕事は、みんなプロフェッショナルだった。
外科医、麻酔科医、手術室看護師、小児科医──。人事やロジスティクス、経理など「ヒト・モノ・カネ」を担当する非医療スタッフも、高いレベルで活動に貢献できる人たちばかり。
僕たちが担当するプロジェクトには、たった1か月で紛争の暴力による外傷の重症患者の数が130人近くになるところがあった。
また僕が最初に訪れた避難民キャンプの病院では、診察する患者の数は1週間で1000人を超えていた。
自分たちのやっている仕事の必要性もインパクトも、目に見えてわかった。
こういう仕事があったのか。こういう組織で、こういう人たちと一緒に仕事をしていきたい。これは、以前勤めていた会社ではなかった感覚だった。
約1年の派遣期間が終わるころ、そう強く思うようになった。