スーダン、シリア、イラク、イエメン──。世界の紛争地区で避難する人々は着のみ着のまま逃れ、家も学校もない。そんな過酷な場所で生き抜いている人々を目の当たりにしてきたのが国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏。
村田氏は医師ではなくIT企業の営業マンから転じた非医療従事者として、国境なき医師団の歴史で日本人としてはじめて、派遣国のすべてのプロジェクトを指揮する現地の活動責任者に抜擢(ばってき)された。
村田氏はその異色のキャリアをどうやって歩んだのか。村田氏の初の著書『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』(サンマーク出版)より一部抜粋し、再構成してお届けします。【前後編の後編。前編から読む】
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苦手な英語から逃げない決意
コンプレックスのない人など、いないだろう。
僕は中学校でバスケ部だったが背が伸びず悩み、高校ではアトピー性皮膚炎とにきびに悩まされた。偏差値も思うように伸びず、学校に行きたくない時期があった。
社会人になってからのコンプレックスは、なんといっても英語。
そもそも高校のときから英語の偏差値は50あるかないか。正直、当時のことは消したい記憶だったので正確には覚えていないぐらいだ。
「外資系のIT企業ですか。じゃあ英語はできるんですよね?」
営業マンから国境なき医師団に転職をする際、その1次面接で聞かれたことだ。
「いえ、あんまりできないんですけど──」
実際は、「あんまり」ではなく「まったく」できなかった。