物語として小説が最も純度が高い
「後のツタンカーメン王の父が自らアクエンアテンと名乗るほど傾倒した太陽神アテンの一神教か、多神教回帰かで揺れた宗教改革や、当時は思考も記憶も心臓が担うと考えられていたのも事実。もちろん王様や神様の名前も全て本物です。だからセティは犯人が思い出せないし、ミイラなのに探偵役にもなれるんです(笑)。
そもそも私が本書を書いたのも、数ある媒体の中で最も物語として純度が高いのが小説だと思ったことと、映画でもゲームでもなく、ほぼ小説でしか成立しないのが本格ミステリーだと思ったから。その物語の面白さを高めるためにも映画を参考にしてタイムリミットを設けたり、前半と後半で対峙する課題を変えてみたりしながら、今の時代に読んでもらえる物語をめざしました」
出色は、期限が迫る中、事件前後の事情を元同僚や警官に訊ねて回り、犯人と心臓の行方を探すセティが、〈あなたは、死んだはずでは〉〈よくぞ戻った〉などと、人々にすんなり受け入れられること! ミイラの探偵役など想像しただけで笑えてくるが、やがて彼は先王の葬儀の準備中に自分が〈崩落事故〉で下半身を損傷し、その上で刺された事実を知ることになる。
そしてその事故が実はピラミッドの一部に〈砂岩〉を仕込んだ人為的なものだったことや、自分を殺した黒幕まで中盤早々に突き止めてしまうのだが、肝心の心臓の行方や一連の犯行の本当の動機は、先王の遺体消失の謎が解明されてなお、わからないままなのだ。
「1冊丸ごと使った問題文みたいな本格も私は大好きですし、前回の応募作なんてガチガチの館物だったんですけど、今回は人間の造形や深掘りにより力点を置いてみました。
今は読者にあまりストレスを与えない物語の方が流行っている気がするし、読者を離脱させないように工夫はしつつ、小説を1冊読むのに値するだけのカタルシスは追求したかった。例えば映画とYouTubeだと、今は後者を見る時間が長い人の方が多いけど、映画を1本見る方がカタルシスは断然大きいと思うんですよ。小説もたぶん同じで、まずはインパクトのある設定で読者の興味を引き、人生のマイナスとプラスの差分に生じるカタルシスを存分に堪能してもらって初めて、自分が小説に挑戦した意味も出てくると思うので」
古代エジプトという未だ手つかずの素材を「ブルーオーシャン的に」探し当て、「新しい技術の勉強とか、小説もそうですけど、努力を要することが私にはメチャクチャ楽しく、それが才能といえば才能かもしれない」と笑う著者のデビュー作は、今後の一層挑戦的な創作を予感させ、次はどんな世界観と出会えるか、楽しみでならない。
【プロフィール】
白川尚史(しらかわ・なおふみ)/1989年横浜市生まれ。東京大学工学部在学中は松尾豊研究室に所属し、卒業後の2012年に(株)AppReSearch(現PKSHA Technology)を設立、代表取締役に就任。2020年末に退任して小説の執筆を開始し、第22回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作を改題した本作でデビュー。「作家の結城真一郎さんは開成と東大の後輩、安野貴博さんは開成と松尾研とPKSHA全部で後輩です(笑)」。現在マネックスグループ取締役兼執行役。弁理士。170cm、63kg、O型。
構成/橋本紀子 写真/国府田利光
※週刊ポスト2024年1月26日号