能登半島地震の犠牲者はいまなお増え続け、その被害の全容は見えてこない。報道を注視されお心を痛められているという雅子さま。時機を迎えればすぐにでも、この春に節目を迎えられる愛子さまとともに、被災地を勇気づけられるだろう──。
「このたび、令和6年能登半島地震により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、ご遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝えいたします。いまなお安否が不明の方や避難を余儀なくされている方も多く、救援と復旧の作業が速やかに進むことを心から願っています」
天皇陛下のおことばを、雅子さまはじっと聴き入られていた。天皇皇后両陛下は1月15日午前、警視庁本部(東京・霞が関)で開かれた、警視庁の創立150年記念式典に出席された。陛下は挨拶に先立ち、能登半島地震発生後、初めて肉声でお見舞いのお気持ちを述べられた。雅子さまは、外務省時代も含め、今回が初めての警視庁訪問となった。
「調子は上向きとはいえ、雅子さまのご体調には、依然波があるそうです。新年祝賀の儀や講書始の儀など、新年恒例の皇室行事に立て続けに参加されて、お疲れもあるでしょう。そのような状況においても式典に出られたのは、陛下のおことばと同じく被災地を憂慮されているという、雅子さまのお気持ちの表れではないでしょうか」(皇室記者)
天皇家の長女の愛子さまも、成年皇族として、新年恒例の皇室行事に積極的に参加された。1月11日には、講書始の儀に初めてご出席。淡いサーモンピンクのロングドレスをお召しになった愛子さまは、講義に熱心に耳を傾けられていた。
「実は愛子さまは、その日に『日本語学』のご進講を担当した教授の著書を読まれたことがあり、彼の研究業績を大学の授業で取り上げられたこともあったそうです。初めての講書始で興味関心のある分野が扱われたことは喜ばしいことだったでしょう。愛子さまは無事に行事を終えられ、安堵されたご様子だったそうです」(宮内庁関係者)
同日、宮内庁長官は記者会見で、両陛下が被災地の状況を非常に心配されていることを明かし、次のように述べた。
「直接お見舞いに行き、皆さんにお声がけをしたいという気持ちはおありだと拝察しております」
両陛下は、地震発生直後から、絶えず被災地を気にかけられてきた。1月1日深夜、被害の状況を鑑みて翌日に予定されていた新年一般参賀の中止をご決断。5日、側近を通じ、犠牲となった方々に対するお悼み、被害を受けた方々に対するお見舞いのお気持ち、災害対策のために尽力している関係者に対するねぎらいのお気持ちを石川県知事にお伝えになり、12日には宮内庁を通し、石川県、新潟県、富山県に対し、お見舞いの金一封を贈られた。
「雅子さまは、ご結婚前に友人とバス旅行で北陸を観光された経験があり、皇太子妃決定の際の身上書には『国内外の旅行』として『北陸』を旅行先のうちのひとつに挙げられたほど、印象深い土地だといいます。また、雅子さまのお父様である小和田恆さんは新潟、お母様の優美子さんは富山で生まれ、ご両親のルーツも被害のあった地域です。雅子さまにとって思い入れの強い地方だけに、今回の甚大な被害にはたいそう心を痛められているでしょう」(前出・宮内庁関係者)
両陛下は地震発生直後から、政府の情報や報道をつぶさに確認され、被災地を案じられているという。
「直近では、避難生活を余儀なくされている方々が寒波により体調を崩さないか、また、避難所における感染症の拡大を心配されています。孤立集落の存在、災害関連死や、安否不明の方がいることにも心を痛められています」(前出・宮内庁関係者)
前述の宮内庁長官の会見の通り、両陛下には被災者に直接寄り添いたいというお気持ちが強く、2011年、東日本大震災のときに上皇さまが出されたようなビデオメッセージは現状検討されていないという。一方で、訪問の時機は見極めたいという思いもおありのようだ。
「被災地では道路が寸断されているうえに、断水や停電、物資不足も続いている。また、病床も逼迫しています。そうした深刻な状況を、両陛下は強く意識されている。復旧の状況を見極め、なおかつ、被災した方の気持ちを充分に踏まえたうえで、被災地訪問を叶えたいというご意向だそうです。
いまだ被害の全容はわかっておらず、インフラの復旧も難航していることを鑑みると、訪問は早くとも2月中旬以降になるのではないでしょうか。場合によっては東日本大震災のときと同じように、まずは二次避難先を訪問されることも考えられます」(前出・宮内庁関係者)